## フッサールのヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学の思考の枠組み
フッサールの問題意識
フッサールは、第一次世界大戦後のヨーロッパの精神状況を「危機」と捉えていました。第一次世界大戦によるヨーロッパ文明の崩壊とともに、科学や哲学を含む学問全体がその意味と方向性を見失っていると感じていました。
特に、自然科学の成功は、客観的で厳密な知識をもたらしましたが、人間の精神や文化、価値といった問題を扱うことができませんでした。 フッサールは、このような自然科学的方法を無批判に人間や文化の問題に適用する「自然主義」と、反対に、客観的な知識を諦め、相対主義に陥る「歴史主義」の両方を批判しました。
危機の根源
フッサールは、この危機の根源を、近代哲学の基礎を築いたデカルトにまで遡って考えます。 デカルトは、「我思う、ゆえに我あり」という命題によって、主観的な意識を確実な基盤としようとしました。
しかし、同時に、世界を客観的な物質として捉え、意識とは独立したものと考える「主観と客観の二元論」を生み出してしまったと、フッサールは批判します。 この二元論こそが、自然科学的方法の限界を生み出し、精神や価値の問題を軽視することに繋がったと考えたのです。
超越論的現象学による克服
フッサールは、この危機を克服するために「超越論的現象学」を提唱しました。現象学とは、事物が意識に現れる仕方(現象)に焦点を当て、その意味を探求する方法です。
フッサールは、あらゆる知識の基盤となる意識の働きそのものを明らかにすること、つまり「意識とは何か」「意識はどのように世界を構成するのか」を問う「超越論的」な立場から現象学を進めました。
エポケーと現象学的還元
超越論的現象学において重要な方法として、「エポケー」と「現象学的還元」があります。エポケーとは、世界の客観的な存在についての判断を「括弧に入れる」ことであり、現象学的還元とは、事物を構成する私たちの意識の働きそのものへと立ち返ることです。
これらの方法によって、私たちは先入観や偏見を取り除き、事物が意識に現れるありのままの姿を捉えることができるとフッサールは考えました。