フォイエルバハのキリスト教の本質の対極
1. キリスト教の根本問題
ルートヴィヒ・フォイエルバッハの主著『キリスト教の本質』は、1841年の刊行以来、キリスト教理解のひとつの画期とされてきました。フォイエルバッハは、ヘーゲル左派の立場から、宗教、とりわけキリスト教を、人間疎外の産物として鋭く批判しました。彼によれば、神とは、人間が自らの理想的な本質を投影した幻想にすぎず、人間は神への信仰から解放され、自らの手で現実を改善していくべきなのです。
2. 対極に位置する思想
フォイエルバッハのこうした立場は、19世紀の宗教思想に大きな影響を与えましたが、当然のことながら、すべての人が彼の見解に賛同したわけではありません。フォイエルバッハのキリスト教批判に対して、さまざまな反論や批判が展開されましたが、その中でも特に重要なのは、「新正統主義」と呼ばれる20世紀の神学的運動です。
3. 新正統主義の主張
カール・バルト、エミール・ブルンナー、ルドルフ・ブルトマンといった神学者たちによって代表される新正統主義は、19世紀末から20世紀前半にかけて、フォイエルバッハに始まる近代神学の克服を目指しました。彼らは、フォイエルバッハ的なキリスト教理解が、キリスト教の根本を見失っていると批判し、聖書に啓示された神の言葉に立ち返ることの重要性を訴えました。
新正統主義は、フォイエルバッハが主張したような、人間中心的な宗教理解を強く拒否しました。彼らにとって、宗教とは、人間が作り出したものではなく、神から人間への語りかけです。人間は、自らの力によって神に到達することはできず、ただ神の言葉に耳を傾け、それに応答することによってのみ、救いに与ることができるのです。
4. 聖書解釈における対立
フォイエルバッハと新正統主義の対立は、聖書の解釈をめぐっても明らかです。フォイエルバッハは、聖書を人間の思想の発展段階を示す歴史的文書として解釈しました。彼によれば、聖書には、時代や文化によって異なるさまざまな神観が描かれており、それらを批判的に分析することによって、宗教の起源と本質を明らかにすることができるのです。
一方、新正統主義は、聖書を神の言葉の記録として、絶対的な権威を持つものと見なしました。彼らにとって、聖書は、人間の言葉によって書かれたものではありますが、その背後には神の啓示が働いており、時代を超えた真理を含んでいます。
5. 現代における意義
フォイエルバッハと新正統主義の対立は、19世紀以降のキリスト教思想における大きな流れを象徴しています。現代においても、キリスト教を人間の作り出した幻想と見るか、それとも神の啓示と見るかという問題は、依然として重要な課題として残されています。