## フォイエルバハのキリスト教の本質と時間
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時間概念における神の無限性
フォイエルバッハは、キリスト教における神概念を、人間の本質の投影として解釈しました。彼は、人間が有限な存在であることから目を背け、その有限性を克服した理想的な存在として神を創造したと主張します。
時間概念においても、この図式は当てはまります。人間は時間に制約された存在であり、誕生と死という不可避な時間的限界を抱えています。一方、神は永遠の存在として、時間によって制約されることはありません。
フォイエルバッハは、この神の無限性を、人間の時間に対する意識の投影だと分析します。人間は、自らの有限性を意識するからこそ、その対極にある無限なるものを渇望し、神という概念にそれを投影したのです。
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歴史と種の意識
フォイエルバッハは、個人の意識だけでなく、「種の意識」という概念を導入し、時間概念を考察します。彼は、個人が経験できる時間は限られている一方、人類という種は、世代を超えて歴史を積み重ねていく存在だと指摘します。
そして、この種の意識こそが、神の時間的な無限性の根底にあると主張します。人間は、歴史を通じて自らの有限性を超越し、種として永遠に存続するという願望を、神という概念に投影しているのです。
このように、フォイエルバッハは、キリスト教における時間概念を、人間の本質、特に有限性とそれを克服したいという願望と結びつけ、分析しました。