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フェードル:フェードルの人物像

フェードル:フェードルの人物像

フェードル、ジャン・ラシーヌによって1677年に書かれた悲劇「フェードル」の主人公であり、ギリシャ神話におけるパシパエーとミノス王の娘、ミノタウロスの妹という背景を持つ彼女の人物像は、愛と苦悩の深淵に彩られた複雑なものである。ラシーヌは古典的な枠組みを踏襲しつつも、フェードルの内面を深く掘り下げ、彼女の情熱、罪悪感、そして運命に対する抗いが不可能であるという悲劇性を鮮明に描き出している。

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情熱と苦悩

フェードルの人物像の中心にあるのは、義理の息子であるイッポリトへの禁じられた愛である。この愛は彼女自身にとっても許されざる感情であり、彼女はこの情熱に苦しみながらも、それを抑制することができない。ラシーヌはフェードルのこの内面的葛藤を、彼女のセリフや行動を通じて巧みに表現しており、観客に彼女の苦悩を共感させる。フェードルは情熱に駆られながらも、その情熱に抗おうとするが、結局は運命に翻弄される形で破滅へと導かれる。

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罪悪感と責任

愛の告白が拒絶された後、フェードルはイッポリトに対する誤解を生む告発を行う。この行動は、彼女の罪悪感と自己嫌悪をさらに増大させる。フェードルは自分の感情をコントロールできないこと、そしてその結果として起きた悲劇に対して深い責任を感じている。ラシーヌは、この罪悪感がフェードルの人物像にさらなる複雑さを加えていることを示している。彼女は自分の行動が原因でイッポリトの命が失われることになるとは予見しておらず、その結果としての苦悩は彼女を内部から蝕んでいく。

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運命に翻弄される悲劇性

フェードルの物語は、運命によって翻弄される彼女の悲劇性を強調している。彼女は神々の意志によってこの禁じられた愛を抱かざるを得なくなり、その愛情の結果として彼女の周りの人々は破滅へと導かれる。ラシーヌは、フェードルが運命によって定められた道を歩むことから逃れることはできないという悲観的な視点を示している。彼女の物語は、運命の不可避性と、人間の意志がそれにどう影響するか、あるいは影響しえないかというテーマを掘り下げている。

フェードルの人物像は、愛、罪悪感、そして運命に翻弄される悲劇的なヒロインとして、観客や読者に強い印象を残す。ラシーヌはこの複雑なキャラクターを通じて、人間の情熱の力と、それがもたらす破滅的な結果について深く考察している。

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