フィヒテの全知識学の基礎の構成
第一原則の確立
「全知識学の基礎」は、通常の哲学とは異なり、体系の出発点となるべき第一の真理、すなわち絶対的に無条件な原理の確立から始まります。通常の哲学では、証明なしに前提として置かれるような原理も、フィヒテは批判的な考察によって正当化しようと試みます。
この試みは、意識の内に自覚的に見出される事実、すなわち「私は私である」という命題を出発点とします。この命題は、それが否定されると自己矛盾に陥るという点で、絶対的に確実な真理です。なぜなら、「私は私ではない」という命題を主張する「私」自身が存在することを前提としているからです。
フィヒテはこの「私は私である」という命題を、「自我は自我を措定する」という様態で表現し、これを第一原則とします。
非我の導出
第一原則のみでは、世界や対象についての認識を説明することができません。そのため、フィヒテは第一原則から「非我」を導き出そうとします。非我とは、自我に対立するものであり、感覚的な世界の基盤となるものです。
フィヒテによれば、自我は自己自身を限定することで、非我を意識します。これは、自我が無限に活動しようとする一方で、同時に有限な存在としても意識されるためです。この自我の有限性に対する意識が、非我という概念を生み出すのです。
相互作用としての知識
フィヒテは、自我と非我の関係を一方的なものではなく、相互作用として捉えます。自我は非我を限定し、非我は自我を限定するという相互作用を通して、知識が成立するとされます。
この相互作用は、感覚や知覚といった受動的なプロセスではなく、自我の能動的な働きによって成り立っています。自我は、自らの有限性を克服するために絶えず活動し、非我を限定することで自己を規定していきます。
フィヒテの知識論は、この自我と非我の相互作用という枠組みの中で展開されます。
実践への移行
「全知識学の基礎」は、理論的な認識論にとどまらず、道徳や実践の領域へと展開されます。フィヒテによれば、自我は無限に活動しようとする衝動を持ち、この衝動が道徳法則の根拠となります。
自我は、非我を限定することで自己を実現しようとしますが、非我は常に自我の活動に対する抵抗として現れます。この抵抗を克服し、道徳的な理想を実現することが、人間の課題として提示されます。
このように、「全知識学の基礎」は、認識論を出発点としながらも、最終的には実践哲学へと向かう構成となっています。