## フィヒテの全知識学の基礎からの学び
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自我の自posit
フィヒテの「全知識学の基礎」の根本的な出発点は、自我、つまり「私」の絶対的な活動にあります。 フィヒテは、一切の知識の基礎を問う中で、まず何よりも確実なものを探求しました。そして彼は、その答えを「私は私である」という、自我の直接的な自己意識に見出しました。
この「私は私である」という命題は、単なる論理的なものではなく、自我が自らを設定する、つまりpositすることによって成立します。フィヒテはこれを「自我の自posit」と呼びました。 自我は自らをpositすることによって初めて存在し、意識を持つことができるようになるのです。
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非我のposit
しかし、自我は単独では存在できません。自我が「私」であることを意識するためには、「私でないもの」、つまり「非我」が必要となります。フィヒテは、自我は自らをpositすると同時に、必然的に非をもpositすると考えました。
非我は、自我とは独立して存在するものではありません。それはあくまでも、自我が自らと区別するためにpositするものです。 自我と非我は、互いに規定し合い、相互に依存しながら成立する関係にあります。
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制限と努力
自我は無限に活動しようとしますが、非我のpositによって制限を受けます。この制限は、自我にとって受動的なものではなく、むしろ自我が自らに課すものです。 自我は、自らに制限を課すことによって初めて、自己を意識し、活動を展開することができるのです。
自我は、この制限に対して絶えず努力することによって、自己を限定し、世界を認識していきます。 フィヒテは、この努力こそが、知識や道徳、芸術など、人間のあらゆる文化活動の根源であると考えました。