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ピンカーの暴力の人類史の批評

ピンカーの暴力の人類史の批評

ピンカーの主張に対する批判

スティーブン・ピンカーの著書「暴力の人類史」は、現代は人類史上最も平和な時代であると主張し、物議を醸した作品です。ピンカーはこの主張を裏付けるために、先史時代から現代までの膨大な量のデータを駆使し、戦争、殺人、拷問、虐待などの様々な形態の暴力が減少傾向にあることを示そうと試みています。しかし、ピンカーの主張は、その方法論やデータの解釈、さらには歴史観そのものに至るまで、多くの批判にさらされてきました。

方法論とデータの解釈に関する批判

批判の多くは、ピンカーが採用した方法論とデータの解釈に向けられています。例えば、ピンカーは暴力の減少傾向を示すために、人口に対する死亡者数の割合を用いています。しかし、この方法は、現代の大規模な戦争における犠牲者数を過小評価している可能性があると指摘されています。現代の戦争では、戦闘による直接の死亡者数は減少しているかもしれませんが、それは兵器の精度向上や医療技術の進歩によるものであり、戦争の破壊力や影響範囲が小さくなったわけではありません。むしろ、核兵器の出現は、人類全体を滅亡させるほどの破壊力を持つようになり、潜在的な犠牲者数は過去とは比較にならないほど大きくなっています。

また、ピンカーは統計データを用いる際に、都合の良いデータだけを選び、都合の悪いデータは無視しているという批判もあります。例えば、彼は20世紀を「史上最も血塗られた世紀」と表現した上で、その犠牲者数を第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦死者数にほぼ限定しています。しかし、20世紀には、ナチスによるホロコーストやカンボジアのポル・ポト政権による虐殺など、戦争以外の形態による大量虐殺も発生しており、それらの犠牲者数を考慮に入れていません。

歴史観に対する批判

さらに、ピンカーの歴史観そのものに対する批判もあります。彼は、理性と啓蒙の進歩が暴力を減少させる原動力になったと主張していますが、歴史は必ずしも理性的な進歩の物語として描くことはできません。20世紀には、科学技術が進歩する一方で、世界大戦やホロコーストのような未曾有の暴力も発生しました。理性と暴力が複雑に絡み合った歴史を、一方的に理性的な進歩の物語として捉えることは、歴史の複雑さを無視しているという批判もあります。

また、ピンカーは国家の役割を過度に強調しているという批判もあります。彼は、国家が法の支配や暴力の独占を通じて、個人間の暴力を抑制してきたと主張しています。しかし、国家は暴力の抑制者であると同時に、暴力の主体にもなりえます。歴史上、国家は戦争や内戦、弾圧など、様々な形態の暴力を振るってきました。国家の暴力性を無視して、国家を一方的に暴力の抑制者として捉えることは、国家の持つ両義的な側面を見落としているという指摘もあります。

結論

以上のように、「暴力の人類史」は、その主張の妥当性、方法論、データの解釈、歴史観など、様々な観点から批判にさらされています。ピンカーの主張は、一見すると説得力があるように思えるかもしれませんが、その裏には多くの問題点が潜んでいることを認識しておく必要があります。

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