ヒルティの幸福論の対極
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ショーペンハウアー『人生論』における厭世主義
アルトゥル・ショーペンハウアーの主著『 willed と表象としての世界』を Grundlage として著された『人生論』は、幸福の追求を根本から否定し、人生における苦悩と退屈を克明に描き出すことで知られています。
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幸福への意志の否定
ショーペンハウアーは、人間を含むあらゆる生命の根源的な動力として「意志」を捉えます。この「意志」とは、飽くなき欲望であり、常に欠乏感を抱え、満たされることのない衝動です。そして、人生は「意志」の苦悩に満ちた表れとして捉えられています。ヒルティが幸福を人生の目的とし、その達成のために努力することの重要性を説いたのに対し、ショーペンハウアーは、そもそも幸福という概念自体を、一時的な欲望の充足に過ぎないと見なし、永遠に続く「意志」の苦悩から逃れることは不可能であると断言します。
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芸術と禁欲による一時的な救済
しかし、ショーペンハウアーは完全に絶望的な世界観を提示しているわけではありません。彼は、芸術の観賞と禁欲的生活という二つの道を通し、「意志」の苦悩から一時的に解放される可能性を提示します。芸術、特に音楽は、我々を「意志」の支配から解放し、超越的な美の世界へと誘う力を持つとされます。また、禁欲的な生活、すなわち欲望を抑制し、世俗的な快楽から距離を置くことによって、「意志」の苦悩を軽減することができるとされます。
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ヒルティとの対比
ヒルティが積極的な人生態度と努力による幸福の獲得を説いたのに対し、ショーペンハウアーは幸福の追求自体を否定し、人生の苦悩から逃れるすべを模索しました。ショーペンハウアーの厭世主義は、ヒルティの幸福論とは全く異なる人生観を提示しており、両者は幸福に対する根本的な立場の違いを示す好例と言えるでしょう。