ヒュームの人間機械論の対極
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人間の主体性と自由意志を主張する思想
ヒュームの機械論的な人間観は、人間の行動や思考が、物理法則と同様の因果関係に基づいて決定されていると考える。これは、自由意志や道徳的責任といった概念に疑問を投げかけるものであり、多くの思想家から反論や批判が寄せられてきた。
ヒュームの人間機械論の対極に位置する代表的な思想としては、人間の主体性や自由意志を重視する立場が挙げられる。例えば、ジャン=ジャック・ルソーは、人間は生まれながらにして自由であり、理性によって自己決定を行うことができると主張した。彼は、社会契約論を通じて、個人の自由と共同体の秩序を両立させるための政治体制を構想した。
また、イマヌエル・カントは、人間の理性には、経験を超越した先験的な能力があり、道徳法則を自律的に立法することができると考えた。彼は、「汝の意志の格率が、いつでも同時に普遍的な立法の原理となるように行為せよ」という定言命法を提示し、人間の道徳的行為の根拠を自由意志に求めた。
さらに、実存主義の思想家たちも、人間の自由と責任を強く主張した。ジャン=ポール・サルトルは、「人間は自由の刑に処せられている」という言葉で、人間存在の根底には、自己を規定する本質や目的が存在せず、常に選択と責任を伴う自由があることを表現した。
これらの思想は、ヒュームの機械論的な人間観とは対照的に、人間の主体性や自由意志を重視することで、道徳、政治、宗教など、人間の文化や社会の基盤となる重要な概念を擁護しようと試みたと言えるだろう。