Skip to content Skip to footer

ヒュームの人間機械論と時間

## ヒュームの人間機械論と時間

###

ヒュームの人間機械論における「人間」

ヒュームは、経験論の立場から、人間の心の働きを「知覚」の連鎖として捉えました。
彼の言う知覚には、「印象」と「観念」の二つがあります。
印象とは、感覚を通して直接的に受け取る鮮明な経験であり、観念は、印象を記憶や想像によって薄くしたものです。

ヒュームによれば、人間は外界から感覚データとしての印象を受け取り、それを基に観念を形成します。
そして、観念同士を結びつけることで、複雑な思考や判断を行うとされます。
この結びつきは、類似性、近接性、因果関係といった「観念連合の原理」によって成り立ちます。

このプロセスは、まるで機械が歯車やバネといった部品を組み合わせて複雑な動きを生み出すように、単純な要素が組み合わさって高度な精神活動を構成しているように見えます。
これが、ヒュームが人間を機械に喩えた所以です。

###

時間知覚と因果性の問題

時間知覚は、ヒュームの人間機械論において重要な問題を提起します。
私たちは、世界を断片的な瞬間の連続としてではなく、連続的な流れとして経験します。
しかし、この連続性は、個々の印象や観念からは導き出すことができません。

ヒュームは、時間知覚を説明するために、因果関係の概念を検討します。
私たちは、ある出来事が別の出来事に先行し、それが原因となって結果が生じると認識します。
しかし、ヒュームは、この因果関係もまた、経験によって直接的に与えられるものではないと主張します。

私たちは、ある種の出来事が繰り返し生じ、常に一定の順序で現れることを経験するだけです。
その結果、私たちは、先行する出来事と後続する出来事の間に必然的なつながりがあると信じ込むようになります。
しかし、この「必然的なつながり」は、私たちの心の習慣によって作り出されたものに過ぎず、客観的な実在ではありません。

時間知覚もまた、この因果関係の概念と密接に結びついています。
私たちは、ある出来事が別の出来事に先行すると認識することで、時間の流れを感じ取ります。
しかし、因果関係自体が心の習慣に過ぎないとすれば、時間知覚もまた、客観的な実在ではなく、人間の心が世界に投影したものである可能性があります。

Amazonで購入する

Leave a comment

0.0/5