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パムクの私の名は赤の思索

## パムクの私の名は赤の思索

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東洋と西洋における芸術観の対立

「私の名は赤」では、16世紀オスマン帝国時代のミニチュア絵画工房を舞台に、西洋絵画の影響と伝統的なイスラム美術のあり方が対立構造として描かれます。西洋絵画が個性を重視し、写実性を追求するのに対し、イスラム美術は神への奉仕として、匿名性を保ちつつ様式美を追求してきました。

作中では、西洋絵画に触れた登場人物たちが、従来の様式から逸脱し、自己表現を始めようと葛藤する様子が描かれます。黒は、西洋絵画の写実性に魅せられながらも、伝統的なイスラム美術の精神性との間で苦悩します。シェキュレは、西洋絵画の技法を取り入れて肖像画を描こうとすることで、イスラム教の偶像崇拝の禁忌に触れる危険を冒します。

このように、パムクは登場人物たちの葛藤を通して、東洋と西洋の芸術観の相違を浮き彫りにし、伝統と革新の狭間で揺れ動く人間の姿を描き出しています。

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語り手と視点の多様性

「私の名は赤」は、個性的な語り手たちによって物語が紡がれます。語り手は、登場人物だけでなく、死体やコイン、赤といった無機物にまで及びます。それぞれの語り手は独自の視点と声を持っており、物語に多層的な構造を与えています。

例えば、殺害された絵師Elegant Effendiの視点からは、事件の真相が断片的に語られます。また、黒の視点からは、シェキュレへの秘めた恋心や、絵師としての苦悩が読み取れます。このように、複数の視点から物語が語られることで、読者は事件の全体像を徐々に把握していくとともに、登場人物たちの内面を深く理解することができます。

パムクは、このような複雑な語り口を用いることで、読者を物語世界に引き込み、能動的に解釈することを促しています。

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