バタイユの呪われた部分の機能
バタイユの思想における「呪われた部分」の位置づけ
ジョルジュ・バタイユは、その思想体系において「経済」「エロティシズム」「死」「宗教」といった多岐にわたるテーマを扱い、それらの根底に横たわる共通項として「呪われた部分」という概念を提示しました。これは、理性や秩序によって管理されえない、人間の根源的な過剰性を指すものです。バタイユによれば、人間は、太陽エネルギーの過剰によって生まれた存在であり、その存在自体が過剰性を孕んでいます。そして、この過剰性を社会秩序の中に完全に組み込むことは不可能であり、常に「呪われた部分」として残り続けるとされます。
「呪われた部分」の具体的な現れ
バタイユは、「呪われた部分」を、具体的には以下のような形で現れると考えていました。
* **消費の過剰**: 生産活動や労働によって得られた富を、有用性や合理性を超えて浪費する行為。贅沢な消費、贈与、祭りなどが挙げられます。
* **エロティシズム**: 生殖という秩序化された行為を超えた、肉体の過剰なまでの享楽。倒錯的な性行為や、死と隣り合わせの激しい性行為などが含まれます。
* **死への憧憬**: 生命の有限性に対する不安から、死を否定的に捉えるのではなく、むしろ積極的に求める欲望。自殺願望や、死を想起させるような危険な行為への傾倒などが挙げられます。
「呪われた部分」と社会の関係性
バタイユは、「呪われた部分」は社会にとって危険な要素であると同時に、社会を活性化する原動力でもあると考えていました。社会は、「呪われた部分」を抑制することで秩序を維持しようとしますが、完全に排除することはできません。「呪われた部分」は、時に戦争や暴力、宗教的な狂信といった形で噴出し、社会に混乱をもたらします。しかし、同時に、芸術や文化といった形で昇華されることで、社会に新たな価値や創造性をもたらす可能性も秘めているとバタイユは見ていました。
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