## バタイユの呪われた部分の感性
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過剰性と浪費
ジョルジュ・バタイユの思想において、「呪われた部分」は、理性や有用性の論理を超えた過剰なエネルギー、生産活動の外部に位置づけられる過消費の領域を指します。太陽エネルギーを例にとると、地球上に降り注ぐ莫大なエネルギーのすべてが生命維持や生産活動に利用されるわけではなく、その大部分は消費されずに残ります。バタイユはこのような過剰なエネルギーを「呪われた部分」と捉え、人間社会もまた、この過剰性を孕んだ経済、すなわち浪費の経済の上に成り立っていると主張しました。
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非生産的な消費
バタイユは、過剰なエネルギーは、生産活動に還元されない非生産的な消費を通じて浪費されなければならないと考えました。その代表的な形態が、ポトラッチや祭り、戦争、芸術といった活動です。これらの活動は、いずれも経済合理性や有用性の観点からは無駄な行為とみなされがちですが、バタイユは、このような非生産的な消費こそが、人間社会における過剰なエネルギーを解放し、システムの均衡を保つための不可欠な要素だと考えました。
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エロティシズムと死
バタイユは、人間の根源的な欲求であるエロティシズムと死もまた、「呪われた部分」と密接に関係していると論じました。これらの体験は、人間の自我の限界を露わにし、理性や秩序の支配を逸脱させるという意味で、過剰性を孕んでいると言えます。バタイユは、エロティシズムと死を通じて、人間は「呪われた部分」に触れ、有限な存在であることを自覚すると同時に、超越的なものとの一体感を経験すると考えました。
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社会的秩序の転覆
バタイユは、「呪われた部分」の思想を社会批判へと展開しました。彼は、近代資本主義社会が、生産性や効率性を至上価値とすることで、人間の根源的な欲求を抑圧し、「呪われた部分」を隠蔽していると批判しました。そして、真の解放のためには、非生産的な消費を積極的に実践し、既存の社会秩序を転覆する必要があると主張しました。