## バタイユの呪われた部分の原点
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バタイユの生い立ちと初期の影響
ジョルジュ・バタイユは、1897年、フランス中部の小さな町、ビヨムに生まれました。厳格なカトリックの家庭環境で育ち、幼少期には第一次世界大戦の影が色濃く反映されていました。これらの経験は、後の彼の思想、特に宗教、エロティシズム、死といったテーマへの関心に大きな影響を与えたと考えられます。
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ニーチェ、フロイト、マルクスとの出会い
1920年代、バタイユはニーチェ、フロイト、マルクスの著作に深く傾倒していきます。ニーチェからは、道徳や理性といった西洋文明の根幹を批判的に捉える視点を、フロイトからは、人間の深層心理に潜む衝動や欲望の力を、そしてマルクスからは、資本主義社会における生産と消費の構造的問題点を学びました。
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民族学、人類学への関心
バタイユは、フランス国立図書館で司書として働きながら、民族学や人類学にも強い関心を示しました。特に、マルセル・モースやロジェ・カイヨワの著作から影響を受け、古代社会における儀礼や祝祭における「聖なるもの」と「 profaneなもの」の概念に触れました。
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シュルレアリスム運動への参加と決別
1920年代後半、バタイユはアンドレ・ブルトン率いるシュルレアリスム運動に参加します。しかし、バタイユは、シュルレアリスムの芸術至上主義的な傾向に次第に疑問を抱くようになり、1930年にはブルトンと訣別します。この経験は、バタイユ自身の思想を深化させる上で重要な転機となりました。
これらの経験を通して、バタイユは、理性や有用性といった近代社会の価値観を超えた、人間の根源的な欲望や衝動、そして「聖なるもの」と「profaneなもの」の交錯する領域へと関心を深めていきました。これらの関心は、後の「呪われた部分」の理論へと繋がっていくことになります。