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バタイユの呪われた部分と時間

## バタイユの呪われた部分と時間

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時間と非時間性

バタイユにおいて、「呪われた部分」は、労働や生産といった有用性から逸脱した、過剰なエネルギーや物質、時間の流れから切り離された非生産的な消費活動、エロス、死などを指します。
バタイユは、近代社会が合理性や有用性を重視するあまり、「呪われた部分」を忌避し、抑圧してきたと批判しました。

彼の時間論において、近代社会は「均質的時間」に支配されているとされます。これは、時計によって計られ、均質に分割された、線的な時間の流れを意味します。
一方、「呪われた部分」は、この均質的時間から逸脱した「非時間性」の領域に属します。

例えば、祭りや祝祭、エクスタシー、あるいは死の瞬間などは、生産活動から切り離され、時間的な流れから逸脱した、非時間的な経験と言えるでしょう。

バタイユは、このような「呪われた部分」における非時間的な経験こそが、人間の生の根源的な豊かさに触れるための重要な要素であると考えました。

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消費と時間

バタイユは、「呪われた部分」における消費活動、特に「非生産的な消費」を重視しました。
彼にとって、消費とは単に物質やエネルギーを消費するだけでなく、時間を消費する行為でもありました。

例えば、贅沢な贈り物や盛大な祭りは、莫大な時間と労力を費やし、生産活動に還元されない消費活動です。
しかし、バタイユはこのような非生産的な消費こそが、過剰なエネルギーを浪費し、社会に停滞をもたらす「呪われた部分」の力を解放し、人間を均質的時間からの解放へと導くと考えました。

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エロスと死

バタイユは、エロスと死もまた、「呪われた部分」と深く結びついた、非時間的な経験として捉えました。

性的な体験は、自我の境界が曖昧になり、時間的な意識が希薄化する、非時間的な体験と言えるでしょう。

また、死は生の終わりであると同時に、時間的な流れから完全に切り離された、究極の非時間的な経験です。

バタイユは、エロスと死を通じて、人間は「呪われた部分」の持つ非時間性、そして生の根源的な力に触れることができると考えました。

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