## バタイユの「呪われた部分」の秘密
###
「呪われた部分」とは何か
ジョルジュ・バタイユの主著の一つである『呪われた部分』は、1949年から1961年にかけて執筆され、生前に刊行されたのは一部のみでした。 これは、理性や有用性の論理から逸脱した、人間の存在の根源的な側面を探求する試みです。バタイユは、この著作において、エロティシズム、死、宗教、芸術といった、社会的にタブーとされている領域を、独自の視点から分析しています。
###
「呪われた部分」の主要な概念
「呪われた部分」には、バタイユの思想の核心をなす、いくつかの重要な概念が登場します。
* **過剰性(エクセス)**: バタイユは、太陽エネルギーの過剰から生物が誕生したように、世界は過剰なエネルギーによって溢れていると考えた。人間もまた、この過剰なエネルギーを抱え込んでおり、労働や消費といった生産的な活動だけでは使い切れない部分が存在する。
* **浪費(デパン ス)**: 過剰なエネルギーは、非生産的な消費、すなわち「浪費」によってのみ解放され得る。バタイユは、宗教儀式における犠牲、祭りにおける陶酔、あるいは戦争といった、一見無駄とも思える行為の中に、この「浪費」の論理を見出している。
* **エロティシズム**: バタイユは、エロティシズムを単なる性欲の充足ではなく、自己と他者の境界が溶け合い、死の不安を超越するような、根源的な体験として捉えた。
* **聖なるもの(サクレ)**: バタイユにとって「聖なるもの」とは、日常的な世界(プロファーヌ)とは対立する、禁忌と超越の領域を指す。
* **内面性**: バタイユは、人間の意識は外部世界との相互作用によって形成されるのではなく、それ自体の中に独自の深みと豊かさを持つ「内面性」を持つと考えた。
###
「呪われた部分」におけるバタイユの独自の視点
バタイユは、ヘーゲルやマルクスの影響を受けつつも、彼らとは異なる独自の視点を提示しました。彼は、唯物論的な歴史観を批判し、人間の存在を規定するのは経済的な基盤ではなく、「呪われた部分」としての過剰なエネルギーであると主張しました。
###
「呪われた部分」の影響
「呪われた部分」は、発表当時、大きな反響を呼びませんでした。 しかし、1960年代以降、フーコー、デリダ、ブランショといったフランス現代思想の旗手たちに多大な影響を与え、文学、哲学、社会学、人類学といった様々な分野で参照されるようになりました。
###
「呪われた部分」を読む上での注意点
「呪われた部分」は、難解な文章で知られており、その解釈には様々な議論があります。 また、バタイユの思想は、しばしば誤解や曲解を生み出しやすい側面も持ち合わせています。