## バクーニンの神と国家の仕組み
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神は国家の正当化として機能する
バクーニンは、神という概念が国家権力の正当化に利用されてきたと主張します。人々が神を絶対的な存在として崇拝するならば、神から権力を授かったとされる国家や支配者層もまた、絶対的な権威を持つものと見なされるようになります。
例えば、王権神授説は、王が神から統治を委任された存在であると説くことで、王権の絶対性を正当化しました。バクーニンは、このような宗教的な権威付けが、国家による人々の支配をより強固なものにしてきたと批判しました。
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国家は神の代理人として振る舞う
神を絶対的な存在と認めることは、必然的に人間の不完全さを認めることになります。バクーニンは、国家がこの人間の不完全さを巧みに利用し、自らを秩序と道徳の守護者を名乗ることで、人々を支配下に置こうとしてきたと指摘します。
人々が、自らの力で理想的な社会を実現できるという信念を持たず、国家という「保護者」に依存する限り、真の意味での自由は実現しないとバクーニンは考えました。
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無神論は自由への第一歩
バクーニンにとって、無神論は単に宗教的な教義を否定することではなく、国家権力の根源である「絶対的な権威」という概念そのものを否定することを意味していました。
神という超越的な存在を否定することで、人は自らが自由で責任ある存在であることを自覚し、国家の支配から脱却するための第一歩を踏み出せるとバクーニンは考えました。
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