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ハーヴェイの心臓の運動に関する解剖学的研究の原点

## ハーヴェイの心臓の運動に関する解剖学的研究の原点

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古代ギリシャ・ローマにおける心臓研究

古代ギリシャ・ローマ時代には、心臓は生命にとって重要な器官であると認識されており、その機能について様々な考察がなされていました。古代ギリシャの医師ヒポクラテスは、心臓を熱を生み出す器官と捉え、血液は肝臓で生成され、静脈を通じて全身に運ばれると考えていました。一方、ローマ時代の医師ガレノスは、心臓を血液を送り出すポンプのような器官と考えており、動脈と静脈は別々の系で、血液は肝臓で生成され、心臓で肺から空気を取り込んで精製されると説きました。ガレノスの心臓と血液循環に関する理論は、その後1000年以上もの間、西洋医学における支配的な見解となりました。

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中世における心臓研究の停滞

中世ヨーロッパでは、古代ギリシャ・ローマの医学がアラビア語に翻訳され、イスラム世界に伝わりました。イスラム世界の医師たちは、ガレノスの理論を継承しつつ、独自の解剖学的研究や臨床経験に基づいて、心臓や血液循環に関する理解を深めていくことになります。
しかし、ヨーロッパでは、宗教的な制約などにより、人体解剖が制限されていたため、ガレノスの理論がそのまま受け継がれ、心臓や血液循環に関する新たな知見はほとんど得られませんでした。

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ルネサンス期における人体解剖の revival

14世紀に入ると、ルネサンスの動きとともに、ヨーロッパでは古代ギリシャ・ローマ文化への関心が再び高まり、医学の分野でも古典に立ち返って人体構造を正確に理解しようとする動きが活発化しました。

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ヴェサリウスによるガレノス解剖学への挑戦

16世紀に入ると、アンドレアス・ヴェサリウスが、自ら人体解剖を行い、詳細な解剖図譜を出版しました。ヴェサリウスは、ガレノスの解剖学には多くの誤りがあることを指摘し、それまでの医学界の権威を揺るがす大きな影響を与えました。

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レアルド・コロンボによる肺循環の発見

ヴェサリウスの弟子であるレアルド・コロンボは、動物実験を通じて、心臓から肺へ血液が流れ込み、再び心臓へ戻ってくる肺循環の存在を明らかにしました。これは、ガレノスの理論では説明できない現象であり、血液循環に関する新たな見方を提示するものでした。

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ウィリアム・ハーヴェイの登場

16世紀後半に活躍したイギリスの医師ウィリアム・ハーヴェイは、パドヴァ大学で医学を学び、コロンボらによる最新の解剖学や生理学の成果を吸収しました。ハーヴェイは、心臓の動きや血液循環について、詳細な観察と実験を繰り返し、ガレノス以来1400年以上信じられてきた血液循環の理論を覆す、画期的な業績を残すことになります。

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