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ハンティントンの文明の衝突の批評

ハンティントンの文明の衝突の批評

文明の定義に関する問題点

ハンティントンの文明の定義は、曖昧で恣意的であるという批判が数多くあります。彼は文明を「文化的に類似した人々のグループ」と定義していますが、何が「文化的に類似している」のか、どの程度の類似性があれば文明として区分できるのかは明確ではありません。この曖昧さは、彼の議論に一貫性を欠く原因となっています。例えば、彼はイスラム教と儒教をそれぞれ一つの文明としていますが、両者は宗教、歴史、地理的分布など、多くの点で大きく異なります。一方で、アメリカとヨーロッパは別々の文明として扱われていますが、歴史的・文化的共通点は非常に多く、一つの「西洋文明」と見なすことも可能です。

文明間の対立の過剰な強調

ハンティントンは、冷戦後の世界において、文明間の対立が主要な紛争の形態になると主張しました。しかし、実際には、文明間の対立よりも、国家間の利害対立や民族紛争、宗教対立など、他の要因によって引き起こされる紛争の方が多く見られます。例えば、ルワンダ紛争や旧ユーゴスラビア紛争は、民族間の対立が主要な原因であり、文明間の対立として説明することは困難です。また、近年増加しているテロリズムも、必ずしも文明間の対立という枠組みで捉えることはできず、むしろ貧困や社会的不平等、政治的抑圧など、様々な要因が複雑に絡み合って発生しています。

歴史解釈の単純化

ハンティントンは、歴史を文明間の対立として単純化しすぎているという批判もあります。彼は、十字軍やイスラム教の拡大などを文明間の対立の例として挙げていますが、これらの歴史的事象は、宗教的な対立だけでなく、政治的・経済的な要因も複雑に絡み合っており、一概に文明間の対立として説明できるものではありません。歴史は複雑な要因が絡み合って形成されるものであり、単純な二項対立に還元することはできません。

自己成就予言の可能性

ハンティントンの「文明の衝突」論は、文明間の対立を煽り、自己成就予言となる可能性も指摘されています。彼の主張は、異なる文明の人々に対して、互いを敵対視するような偏見や差別意識を植え付ける可能性があります。実際に、彼の著書が出版された後、一部の人々は、イスラム教徒やアジア人に対する敵意をむき出しにするようになり、ヘイトクライムの増加にも繋がったという指摘もあります。

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