ハリントンのオシアナ の原点
背景と執筆の動機
17世紀半ばのイングランドは、清教徒革命(1642-1651)とその後の共和制の時代を経ていました。この激動の時代は、政治体制、社会構造、宗教、そして個人の自由について、激しい議論と対立を生み出しました。ジェームズ・ハリントンは、この革命の混乱を目の当たりにし、共和政の理想と現実のギャップ、そして持続可能な共和政の構築という課題に深く関心を抱くようになりました。
共和政ローマへの関心
ハリントンは、古代ローマ共和政の興隆と衰退について深く研究し、その教訓を当時のイングランドに適用しようとしました。彼は、ローマの成功の鍵は、広範な市民の土地所有と、それに基づく政治参加にあったと考えました。一方、ローマの衰退は、土地の集中と、それに伴う少数の富裕層による権力の独占が原因であると分析しました。
土地所有と政治権力の関係
ハリントンは、土地所有と政治権力は密接に関係しており、土地の不平等な分配は、必然的に政治的な不平等と不安定をもたらすと主張しました。彼は、共和政を維持するためには、土地所有の均衡を保ち、過度の富の集中を防ぐ必要があると考えました。
オシアナの構想
ハリントンは、自らの政治思想を体系化し、理想的な共和政のモデルを提示するために、「オシアナ」を執筆しました。オシアナとは、大西洋上に位置する架空の島国であり、ハリントンの理想とする共和政体制が実現された社会として描かれています。