ハリントンのオシアナを読む前に
ハリントンの生涯と時代について学ぶ
トーマス・ホッブズと同時代を生きたジェームズ・ハリントン(1611年 – 1677年)は、イングランド内戦(1642年 – 1651年)の激動の時代に生まれました。この紛争は、議会派と王党派の間の、イングランドの統治形態をめぐる深刻な対立であり、イングランド共和国とチャールズ1世の処刑という結果をもたらしました。ハリントンの生涯と著作はこの激動の時代を理解する上で欠かせません。彼は穏健な共和主義者であり、クロムウェルの専制政治に反対しながらも、共和政の考えに共感していました。彼の最も有名な著作である『オシアナ』は、これらの経験から生まれ、当時の政治思想に大きな影響を与えました。
『オシアナ』の執筆の背景
『オシアナ』は、一見すると、架空の島国の複雑な構成を提示した作品です。しかし、この表面的なフィクションの下には、ハリントンのイングランド共和国に対する深い洞察と、理想的な国家に対するビジョンが隠されています。この作品は、1656年に出版され、当時広く物議を醸しました。というのは、オリバー・クロムウェルの護国卿政権を批判していると解釈されたからです。実際、『オシアナ』は単なる政治論文ではなく、文学、歴史、哲学の要素を巧みに織り交ぜた、重層的な作品です。
共和主義の概念を理解する
『オシアナ』の中心テーマのひとつは「共和主義」です。共和主義とは、君主ではなく、人民によって選ばれた代表者が統治する政治体制のことです。ハリントンは、共和政こそが最も安定していて公正な統治形態であると信じていました。彼は、土地所有の平等が共和政の成功に不可欠であると主張し、土地の集中は必然的に寡頭制につながると警告しました。
土地所有と政治権力の関係
ハリントンは、土地所有と政治権力の関係を深く考察しました。彼は、経済的な力が政治的な力に直結すると考えていました。彼が『オシアナ』で提示した理想的な国家では、土地の所有は分散され、誰もが政治に参加する権利と機会を持つように設計されています。この考えは、当時の社会における土地所有の不平等に対する批判と、より公正な社会の実現に向けた彼の強い願いを反映しています。
『オシアナ』の構成と文体
『オシアナ』は、架空の旅行記、政治論文、ユートピア小説の要素を融合させた、独特の構成と文体を持っています。ハリントンの文体は、17世紀の文章に典型的な、複雑で難解な部分もありますが、辛辣な機知と鋭い洞察力に満ちています。作品全体に散りばめられた寓話や象徴は、当時の政治状況に対する風刺として機能しています。
影響と関連作品
『オシアナ』は、ジョン・ロックやジャン=ジャック・ルソーなどの後世の思想家に大きな影響を与え、アメリカ合衆国憲法の制定にも影響を与えたと言われています。ハリントンの思想をより深く理解するためには、これらの思想家たちの作品、特にロックの『統治二論』やルソーの『社会契約論』を読むことが役立ちます。