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ノイマンの大衆国家と独裁の光と影

ノイマンの大衆国家と独裁の光と影

ノイマンの「大衆国家と独裁」における光

ハンナ・アーレントと並ぶ20世紀を代表する政治学者であるカール・シュミットの弟子であったフランツ・ノイマンは、ナチス政権下を生き、その経験を元に全体主義の分析を行いました。彼の主著『ビーマル・アフター:大衆国家と独裁』(1940年)は、ナチス体制を分析する上で重要な視点を提供しています。

ノイマンは、従来の政治学が前提としてきた「国家=階級支配の道具」というマルクス主義的な国家観を批判し、ナチスのような全体主義国家では、国家が社会を完全に掌握し、自律的に行動していると主張しました。これは、当時の全体主義研究において革新的な視点であり、後の全体主義論争にも大きな影響を与えました。

また、ノイマンは、ナチス体制下における政治権力の分散状態を指摘しました。彼は、ナチス体制を「政党、官僚、軍部、産業資本などの複数の権力エリートが、相互に浸透しあいながら支配する多頭政治体制」と捉えました。これは、従来の一党独裁体制とは異なる、全体主義体制の新たな分析視点を提供するものでした。

ノイマンの「大衆国家と独裁」における影

ノイマンの分析は、ナチス体制の理解に大きく貢献しましたが、その一方で、いくつかの批判も指摘されています。例えば、ノイマンはナチス体制の不安定性を強調しすぎたという指摘があります。彼は、ナチス体制を複数の権力エリートが争奪する不安定な体制と見なし、その内部矛盾によってやがて崩壊すると予測しました。しかし、実際には、ナチス体制は12年間も続き、その崩壊は外部からの軍事力によってもたらされました。

また、ノイマンはナチス体制におけるイデオロギーの役割を軽視しすぎたという指摘もあります。彼は、ナチス体制を権力闘争を中心とした政治システムとして分析し、イデオロギーを単なるプロパガンダとして捉えていました。しかし、実際には、ナチスのイデオロギーは人々の行動を動員し、体制を維持する上で重要な役割を果たしていました。

さらに、ノイマンの分析は、ナチス体制を特殊な事例として捉えすぎており、他の全体主義体制への適用可能性が低いという指摘もあります。彼は、ナチス体制をドイツの特殊な歴史的・文化的背景から生まれた「ビーマル・アフター(ヴァイマル共和国以後)」という特殊な体制と見なしていました。しかし、全体主義体制には、ナチス以外にも、ソ連 Stalin体制など、いくつかの事例が存在します。ノイマンの分析は、これらの体制における共通点や相違点を明らかにするには不十分であると言えます。

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