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ノイマンの大衆国家と独裁が扱う社会問題

ノイマンの大衆国家と独裁が扱う社会問題

社会の変容と大衆の登場

カール・シュミットと並び、20世紀前半の政治思想界に大きな足跡を残したフランツ・ノイマンは、主著『ビーマル・レヴィヤタン』(1942年)において、全体主義体制の台頭を分析しました。ノイマンは、全体主義の出現は、近代社会における社会構造の変容と大衆の登場によって説明されると論じます。

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、産業革命や都市化の進展に伴い、社会構造は大きく変化しました。伝統的な共同体や身分制度が崩壊し、個人主義や競争原理が社会に浸透していきます。この過程で、人々は従来の価値観や生活基盤を失い、不安や疎外感を抱えるようになりました。

大衆社会と政治の変質

このような社会状況の中で台頭したのが、「大衆」でした。ノイマンは、大衆を、共通の利害や価値観で結ばれた集団ではなく、原子化され、孤立化した個人の集合体と捉えました。大衆は、政治的に無関心で、理性的な判断力や批判精神に欠け、扇動やプロパガンダに容易に影響されるとノイマンは考えました。

大衆社会の出現は、政治のあり方にも大きな変化をもたらしました。従来の議会制民主主義は、理性的な討議と合意形成を前提としていましたが、大衆社会においては、その前提が崩れ去っていきます。大衆を動員し、その支持を獲得するためには、理性的な議論ではなく、感情に訴えかけるプロパガンダや、カリスマ的な指導者による大衆操作が重要になってきます。

全体主義の台頭と大衆の動員

ノイマンは、ナチス・ドイツやソ連における全体主義体制の台頭を、このような大衆社会の出現と政治の変質と関連付けて分析しました。ノイマンによれば、全体主義体制は、大衆の不安や不満を巧みに利用し、プロパガンダやテロによって大衆を動員し、支配を確立したと論じます。

全体主義体制下では、国家が社会のあらゆる領域を統制し、個人は国家に完全に従属させられます。ノイマンは、全体主義体制を、個人を抹殺し、国家のみに奉仕することを強いる「全体主義国家」と呼び、その危険性を鋭く指摘しました。

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