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ニーチェの道徳の系譜の世界

## ニーチェの道徳の系譜の世界

第一論文:善悪の彼方へ

第一論文では、ニーチェは「善悪」という概念の起源を探求します。彼は、従来の道徳哲学が前提としてきた「善悪」の基準を疑い、その歴史的な成り立ちを分析することで、その基準の相対性を明らかにしようとします。

ニーチェは、「主人道徳」と「奴隷道徳」という二つの対照的な道徳観念を提示します。主人道徳は、力強く、高貴な精神を持つ支配階級によって生み出された道徳であり、「善」と「悪」は、彼ら自身の力強さや高貴さを基準に判断されます。一方、奴隷道徳は、弱者である被支配階級によって生み出された道徳であり、「善」と「悪」は、支配階級に対する「ルサンチマン」(怨恨)に基づいて判断されます。

ニーチェによれば、現代社会の道徳は、この奴隷道徳が支配的になった結果であり、力強さや高貴さといった価値観が抑圧されていると批判します。

第二論文:罪悪感の系譜、あるいは禁欲主義の理念

第二論文では、人間が抱える「罪悪感」の起源とその心理的なメカニズムについて考察します。ニーチェは、罪悪感は、人間が本来持っている攻撃性や力への意志を、社会的な規範によって抑圧することで生まれたと主張します。

原始的な社会では、人間は自分の力によって他者を支配し、欲望を満たしていました。しかし、社会が形成されるにつれて、そうした直接的な力の行使は制限されるようになり、人間は自分の内側に攻撃性を向けることを強いられます。この内向きになった攻撃性が、罪悪感の根源となります。

さらにニーチェは、この罪悪感を積極的に利用しようとする「禁欲主義」の理念を批判します。禁欲主義は、快楽や欲望を否定し、苦痛や自己犠牲を美徳とすることで、罪悪感から逃れようとする試みですが、ニーチェは、それは生の否定であり、人間の力への意志を弱体化させるものだと見なします。

第三論文:禁欲主義の理想とは何か

第三論文では、第二論文で批判した「禁欲主義」について、さらに深く考察します。ニーチェは、禁欲主義が単なる道徳的な問題ではなく、人間の根源的な「意味への意志」と深く結びついていることを明らかにします。

人間は、無意味な世界に意味を見出そうとする存在です。しかし、現実の世界は残酷で、不条理に満ちています。この現実の苦痛から逃れるために、人間は様々な「理想」を作り出すことで、自らに虚偽の慰めを与えようとします。禁欲主義もまた、そのような「理想」の一つであり、苦痛や自己犠牲に意味を見出すことで、生の空虚さから目を背けようとする試みです。

ニーチェは、禁欲主義の背後にある心理的なメカニズムを分析することで、それが「力への意志」の衰退した形態であることを明らかにし、真に力強い人間は、禁欲主義的な理想に頼ることなく、生の肯定に向かっていくべきだと主張します。

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