## ナボコフの青白い炎と時間
###
時間と物語構造
「ナボコフの青白い炎」は、時間という概念が複雑に絡み合った構造を持つ小説です。作品は、ジョン・シェイドの999行から成る詩「青白い炎」とその注釈、そして注釈者であるチャールズ・キンボートによる前書きと注釈で構成されています。
シェイドの詩は、一見すると時系列順に人生を振り返る内容に見えますが、記憶や夢、想像が入り混じり、時系列が錯綜しています。 例えば、詩の冒頭で描かれる湖畔の情景は、シェイドの幼少期の記憶であると同時に、後年に訪れた場所である可能性も示唆されます。 このように、詩の中での時間は、客観的な流れではなく、シェイドの意識によって再構成された、主観的で流動的なものとして描かれています。
一方、キンボートの注釈は、シェイドの詩の解釈と共に、彼自身の物語を展開していきます。 キンボートは、シェイドの妻の妹であるフローラに歪んだ愛情を抱き、彼女をストーキングしたり、シェイドの詩を自分の作品だと偽ろうとしたりと、狂気じみた行動をとります。 キンボートの注釈は、シェイドの詩の解釈という体裁を取りながらも、時折その枠組みを逸脱し、彼自身の妄想や願望が入り混じった、現実と虚構が曖昧な世界を作り出します。
このように、「ナボコフの青白い炎」における時間は、シェイドの詩とキンボートの注釈という二重構造を通して、多層的に表現されています。
###
時間と記憶
「ナボコフの青白い炎」では、時間と密接に関係する記憶も重要なテーマとなっています。 シェイドの詩は、彼の記憶に基づいて書かれていますが、その記憶は常に正確とは限りません。 詩の中には、シェイド自身の記憶違いや思い込み、あるいは意図的な改変が紛れ込んでいる可能性も示唆されています。
また、キンボートの注釈も、彼の記憶に基づいて書かれていますが、彼はシェイドの妻フローラに対する偏執的な愛情から、現実を歪めて解釈している節があります。 そのため、彼の注釈には、事実と異なる記述や、彼自身の妄想に基づく解釈が含まれている可能性も否定できません。
このように、「ナボコフの青白い炎」では、記憶は客観的な記録ではなく、時間の経過や個人の主観によって変容する不安定なものとして描かれています。 読者は、シェイドの詩やキンボートの注釈を通して語られる記憶の断片を繋ぎ合わせながら、登場人物たちの真実に迫ろうとしますが、その試みは容易ではありません。