ドライサーのアメリカの悲劇と言語
言語の描写による社会階層の表現
ドライサーは、「アメリカの悲劇」の中で、登場人物の社会的地位や教養のレベルによって異なる言葉遣いをさせることで、1920年代のアメリカ社会における階級格差を浮き彫りにしています。
主人公クライド・グリフィスは、貧しい家庭環境で育ち、十分な教育を受けていません。彼の言葉遣いは、文法的に稚拙で、俗語や方言が多く見られます。特に、上流階級の人々と接する際には、その違いが顕著になります。
一方、裕福な家庭の出身で、洗練された環境で育ったソンドラ・フィンチリーや彼女の友人たちは、洗練された語彙と流暢な話し方をします。彼らの言葉遣いは、教養の高さと社会的な優位性を象徴しており、クライドとの間には、言葉の壁が立ちはだかっているかのようです。
物質主義と消費社会の風潮
作中では、広告や雑誌、映画など、当時の大衆文化における言葉が頻繁に登場します。これらは、人々の欲望を刺激し、消費を煽る役割を果たしており、アメリカの資本主義社会が抱える物質主義的な側面を浮き彫りにしています。
クライドは、こうした言葉に翻弄され、物質的な豊かさへの憧憬を募らせていきます。彼は、ソンドラや彼女の友人たちが享受する華やかな生活に憧れ、自らの貧しい境遇に不満を抱くようになります。
法律用語と裁判の場面における言葉の力
物語の後半では、クライドが殺人容疑で逮捕され、裁判にかけられる場面が描かれます。ここでは、法律用語や法廷でのやり取りなど、専門性の高い言葉が多く用いられます。
クライドは、こうした言葉の意味を十分に理解することができず、弁護士との意思疎通にも苦労します。このことは、彼が置かれた不利な状況を象徴しており、司法制度における言葉の持つ力を浮き彫りにしています。