## ドストエフスキーの貧しき人びとを深く理解するための背景知識
1.ドストエフスキーの生きた時代背景
ドストエフスキーの処女作『貧しき人びと』が発表された1846年は、帝政ロシアにおいて、農奴制や厳しい検閲のもと、社会不安が高まっていた時代でした。皇帝ニコライ1世の治世下、西欧諸国の自由主義や社会主義思想の流入を警戒し、思想統制が強化されていました。このような状況下で、貧困や社会的不平等は深刻化し、民衆の不満は高まっていました。
2.ペテルブルクの貧困層
『貧しき人びと』の舞台であるペテルブルクは、帝政ロシアの首都として繁栄していましたが、その一方で、都市化に伴う貧困問題が深刻化していました。地方から仕事を求めて都市に流入してきた人々は、劣悪な環境に住み、低賃金で長時間労働を強いられていました。特に、物語の中心人物であるマカール・ジェーヴシュキンやヴァールヴァラ・ドブロセーロワのような下級官吏や貧しい女性たちは、社会的に弱い立場に置かれ、生活に苦しんでいました。
3.当時のロシア文学
19世紀前半のロシア文学は、ロマン主義の影響を受け、理想主義的な作品が主流でした。しかし、1840年代に入ると、現実社会の問題に目を向け、貧困や社会的不平等を告発する「自然派」と呼ばれる文学運動が起こりました。ゴーゴリの『外套』や『死せる魂』などがその代表的な作品です。ドストエフスキーの『貧しき人びと』も、自然派文学の影響を受け、当時のペテルブルクの貧困層の現実を生々しく描写しています。
4.書簡体小説という形式
『貧しき人びと』は、主人公のマカールとヴァールヴァラの往復書簡によって物語が展開される書簡体小説という形式をとっています。この形式は、登場人物の心情や内面を直接的に読者に伝えることができるため、貧しい人々の苦悩や心の葛藤をリアルに描写するのに効果的でした。また、手紙という私的な形式を用いることで、検閲を回避する狙いもあったと考えられています。
5.センチメンタリズムとリアリズム
『貧しき人びと』は、貧しい人々の苦しみや同情を誘うセンチメンタリズム的な要素を含んでいます。しかし、一方で、貧困や社会的不平等を生み出す社会構造や、人間の弱さやエゴイズムといったリアリズム的な要素も描かれています。ドストエフスキーは、センチメンタリズムとリアリズムを融合させることで、貧しい人々の現実を多角的に描き出し、読者に深い感動と社会問題への関心を喚起しました。
6.キリスト教思想
ドストエフスキーは、深いキリスト教信仰を持っていました。彼の作品には、キリスト教的な愛や赦し、人間の罪と救済といったテーマがしばしば登場します。『貧しき人びと』においても、マカールやヴァールヴァラの自己犠牲的な行動や、貧しい人々への共感は、キリスト教的な愛の精神に基づいていると解釈することができます。
7.社会主義思想
ドストエフスキーは、若い頃、社会主義思想に傾倒していました。しかし、後に社会主義に対して批判的な立場をとるようになります。『貧しき人びと』には、社会主義的な思想は直接的には描かれていませんが、貧困や社会的不平等に対する批判的な視点は、彼の社会主義思想への関心の表れとも言えます。
これらの背景知識を踏まえることで、『貧しき人びと』をより深く理解し、ドストエフスキーが作品を通して伝えたかったメッセージを読み解くことができるでしょう。
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読書意欲が高いうちに読むと理解度が高まります。