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ドストエフスキーの悪霊の対極

ドストエフスキーの悪霊の対極

ヴォルテール「カンdide」における楽観主義

ドストエフスキーの「悪霊」は、19世紀ロシアの政治的、社会的な混乱を背景に、ニヒリズム、虚無主義、そして人間の心の暗部を容赦なく描くことで、人間の存在に対する根源的な問いを突きつける作品です。「悪霊」が人間の悪意や破壊衝動、社会の不条理と混沌を克明に描き出す一方で、その対極に位置する作品として、18世紀フランス啓蒙主義を代表する作家ヴォルテールの「カンdide」が挙げられます。

「カンdide」は、主人公のカンdideが、盲目的な楽観主義の師パン gloss に教え込まれた「この世はあらゆる可能な世界の中で最善のものである」という信念を胸に、数々の苦難や悲劇に見舞われながらも、世界を旅する中で経験を通して成長していくピカレスク小説です。

「悪霊」が人間の精神の暗部や社会の混乱に焦点を当てるのに対し、「カンdide」は、理性と経験を通して、不条理な世界を生き抜くための知恵と実践的な生き方を提示しようとします。

両作品の対比:世界観と人間観

「悪霊」は、人間の心の奥底に潜む悪意や破壊衝動、そして社会の不条理さを容赦なく描き出すことで、読者に人間の存在の根源的な問いを突きつけます。一方、「カンdide」は、皮肉や風刺を交えながらも、理性と経験を通して、不条理な世界を生き抜くための知恵と実践的な生き方を提示しようとします。

「悪霊」における世界は、混沌と狂気に満ちた絶望的な場所として描かれます。登場人物たちは、ニヒリズム、虚無主義、狂信的な思想に翻弄され、破滅へと突き進んでいきます。

対照的に、「カンdide」の世界は、不条理で理不尽な出来事が満載である一方で、主人公カンdideは、持ち前の楽天的な性格と、師パン gloss から教え込まれた「最善世界」の思想を拠り所に、あらゆる困難を乗り越えようとします。

「悪霊」は、人間の心の暗部を容赦なく描くことで、人間存在の悲劇性を浮き彫りにします。一方、「カンdide」は、人間の愚かさや弱さを風刺しながらも、理性と経験を通して成長していく可能性を提示します。

まとめ

「悪霊」と「カンdide」は、人間の存在や世界に対する全く異なる視点を提示する作品です。前者が人間の心の暗部や社会の不条理さを克明に描き出すことで、読者に人間の存在の根源的な問いを突きつけるのに対し、後者は理性と経験を通して、不条理な世界を生き抜くための知恵と実践的な生き方を提示しようとします。

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