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ドストエフスキーの地下室の手記の原点

## ドストエフスキーの地下室の手記の原点

ドストエフスキー自身の経験

ドストエフスキーは、「地下室の手記」の執筆過程で、自身の経験を作品に色濃く反映させています。

* **ペトラシェフスキー事件と流刑体験:** 1849年、ドストエフスキーは反体制的な思想家サークル「ペトラシェフスキー派」の一員として逮捕され、死刑判決を受けます。処刑直前に減刑となり、シベリアでの4年間の強制労働を強いられました。この過酷な体験は、彼の思想や創作活動に大きな影響を与え、「地下室の手記」の主人公の閉塞感や疎外感、自己卑下といった心理描写に反映されています。
* **借金苦:** 流刑から帰還後も、ドストエフスキーは経済的な困窮に悩まされ、多額の借金を抱えていました。彼は出版社から多大なプレッシャーを受けながら執筆活動を続け、「地下室の手記」もその様な状況下で書かれました。

19世紀ロシア社会の状況

「地下室の手記」は、19世紀半ばのロシア社会における思想的、社会的変化を背景に描かれています。

* **西欧思想の影響:** 当時のロシアでは、西欧から啓蒙主義や合理主義などの思想が流入し、社会に大きな影響を与えていました。ドストエフスキーは、こうした西欧思想の機械的な合理主義を批判し、人間の複雑な心理や非合理的な側面を描写しようと試みました。
* **社会の矛盾と不安:** 1861年の農奴解放令以降、ロシア社会は大きく変化し、資本主義経済が発展していく一方で、貧富の格差や社会不安が広がっていました。「地下室の手記」は、そうした社会の矛盾や不安の中で生きる人間の孤独や絶望を描いています。

当時の文学潮流

「地下室の手記」は、当時のロシア文学における自然主義やリアリズムといった潮流とも深く関わっています。

* **「余計者」の文学:** 19世紀半ばのロシア文学では、社会に適応できず、疎外された「余計者」と呼ばれる主人公が登場する作品が多く書かれました。「地下室の手記」の主人公も、社会や周囲の人間と断絶し、自意識と自己嫌悪にさいなまれる「余計者」の一人として位置付けられます。
* **意識の流れの手法:** 「地下室の手記」では、主人公の意識の流れに沿って物語が展開していく、意識の流れの手法が用いられています。これは、当時のヨーロッパ文学、特にフランスの小説家エドゥアール・デュジャルダンの影響を受けていると考えられています。

「地下室の手記」は、ドストエフスキー自身の体験や当時の社会状況、文学潮流などが複雑に絡み合い、生み出された作品と言えるでしょう。

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