Skip to content Skip to footer

ドゥオーキンの権利論の原点

ドゥオーキンの権利論の原点

ドゥオーキンにおける「権利としてのトランプ」

ロナルド・ドゥオーキンは、現代の最も影響力のある法哲学者の一人であり、その権利論は法哲学のみならず、政治哲学、倫理学といった隣接分野にも大きな影響を与えてきました。彼の権利論は、初期の論文”Taking Rights Seriously” (1970) に収録された「権利としてのトランプ」(“Rights as Trumps”) という概念によって特徴付けられます。

功利主義批判としての権利論

ドゥオーキンは、当時の法哲学および政治哲学の主流であった功利主義に対する批判として、独自の権利論を展開しました。功利主義は、「最大多数の最大幸福」を至上命題とし、社会全体の幸福を最大化することを目指します。しかし、ドゥオーキンは、功利主義には個人の権利を軽視する危険性が孕まれていると批判しました。

彼の有名な思考実験の一つに、「無実の人間を生贄に捧げることによって、より多くの人の幸福が実現できる場合、功利主義者はそれを正当化できるのか」というものがあります。ドゥオーキンは、このような行為はたとえ社会全体の幸福を増加させたとしても、決して正当化されないはずだと主張しました。なぜなら、それは個人の権利を侵害する行為だからです。

権利の「切り札」としての性格

ドゥオーキンは、個人の権利を「切り札」(trump) にたとえました。トランプゲームにおいて、切り札は他のカードよりも強い力を持つように、個人の権利は社会全体の幸福といった他の価値よりも優先されるべきだと彼は主張しました。

例えば、表現の自由は、たとえそれが社会不安を引き起こす可能性があったとしても、原則として保障されるべき権利です。これは、表現の自由が、社会全体の幸福よりも優先されるべき「切り札」としての性格を持っているからです。

権利の根拠と限界

ドゥオーキンの権利論は、個人の権利を絶対的なものとして主張するものではありません。彼は、権利には必ず限界があり、他の権利や公共の福祉との調整が必要になることを認めています。

重要なのは、権利の制限が、単に社会全体の幸福を最大化するために行われるのではなく、他のより重要な権利を保護するため、あるいは公共の福祉のためにどうしても必要な場合にのみ正当化されるということです。

ドゥオーキンの権利論は、法哲学における権利論争に新たな視点を提供し、個人の権利の重要性を改めて認識させる契機となりました。

Amazonで詳細を見る

Leave a comment

0.0/5