## デューイの経験と自然の批評
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批判①:経験概念の曖昧さ
デューイの経験概念は、しばしばその広範さゆえに批判の対象となります。彼は、人間と環境との相互作用のあらゆる側面を包括的に「経験」と捉えますが、具体的に何が経験に含まれ、何が含まれないのか、明確な線引きがなされていないという指摘があります。
例えば、意識的な行為だけが経験に含まれるのか、それとも無意識的な反応や習慣なども含まれるのか、デューイ自身の記述からは判然としません。この曖昧さは、経験概念の適用範囲を巡る議論を生み出し、解釈の多様性を招きかねないという問題点を抱えています。
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批判②:自然主義的誤謬の可能性
デューイの哲学は、自然主義的な立場に基づいて構築されています。彼は、人間の経験や価値観も、自然の一部として捉え、科学的な探求の対象となると主張します。
しかし、この立場は、「である」ことから「であるべき」を導き出す「自然主義的誤謬」に陥る危険性を孕んでいるという批判があります。自然の事実から、人間の行動や社会のあり方に関する規範的な結論を直接的に導き出すことはできないという指摘です。
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批判③:言語の役割の軽視
デューイは、言語を思考や経験の単なる道具として捉え、その構成的な役割を十分に評価していないという批判があります。言語は、客観的な世界を記述するだけの受動的な媒体ではなく、むしろ私たちの世界観や価値観を形成する上で積極的に関与するという見解があります。
デューイの言語観は、言語が思考や経験に及ぼす影響力を過小評価しており、その結果、言語の社会的・文化的側面を軽視することに繋がっているという指摘があります。