デューイの民主主義と教育の対極
プラトンの「国家」における教育
古代ギリシャの哲学者プラトンの著作である「国家」は、デューイの「民主主義と教育」とは対照的な教育観を提示しています。 デューイが個人の経験と社会の進歩を重視するのに対し、プラトンは理想的な国家の維持のために個人がそれぞれの役割を果たすことを重視し、そのために厳格な階層社会における教育の重要性を説いています。
「国家」における教育の目的
プラトンは、「国家」において、哲学者王が統治する理想国家を構想しました。 この国家では、人々は生まれながらにして異なる資質を持ち、それぞれが適材適所で役割を果たすことが求められます。 教育の目的は、個人の才能を見極め、それぞれの階層にふさわしい能力を育成することにあります。
階層社会と教育
プラトンの理想国家は、統治者である哲学者王、国家を守る軍人、生産に従事する労働者の三つの階層から成り立っています。 それぞれの階層に属する人間は、幼い頃から異なる教育を受けます。 例えば、将来哲学者王となるべき子供たちは、抽象的な思考力や理性、統治に必要な知識を養うための高度な教育を受けます。
デューイとの対比
プラトンとデューイの教育観の最大の違いは、個人の自由と社会のあり方に対する考え方です。 デューイは、民主主義社会における個人の成長と社会の進歩を重視し、経験を通して学ぶことの重要性を説きました。 一方、プラトンは、国家の秩序と安定のために、個人の役割があらかじめ決められていると考え、教育は個人がその役割を果たせるように訓練する手段と見なしていました。