## デュルケームの「宗教生活の原初形態」の思想的背景
### 19世紀後半のフランス社会とデュルケームの知的立場
デュルケームが1871年から1917年にかけて活躍した19世紀後半のフランスは、普仏戦争の敗北、パリ・コミューンの成立と鎮圧、そしてその後の第三共和政の成立といった激動の時代でした。
このような社会的混乱期において、デュルケームは社会の統合と秩序の維持という問題に強い関心を抱いていました。彼は、社会学を確立することで、経験的・科学的な方法に基づいた社会分析を行い、社会の病理を診断し、治療することを目指しました。
### コンテの実証主義と社会学への影響
デュルケームの思想には、実証主義の創始者であるオーギュスト・コントの影響が色濃く見られます。コントは、神学や形而上学といった抽象的な思考から脱却し、観察・実験・比較といった経験的な方法によって社会現象を解明することを提唱しました。
デュルケームは、コントの思想を継承し、社会学も自然科学と同様に客観的な方法に基づいた科学であるべきだと考えました。彼は、社会現象を「社会的事実」として捉え、個人の意識や心理とは独立した客観的な実在として扱い、その因果関係を明らかにしようとしました。
### スペンサーの進化論と社会進化論
デュルケームは、ハーバート・スペンサーの進化論からも大きな影響を受けています。スペンサーは、ダーウィンの生物進化論を社会現象に適用し、社会も生物と同様に単純なものから複雑なものへと進化していくという社会進化論を展開しました。
デュルケームは、スペンサーの社会進化論の枠組みを採用し、宗教も社会の進化に伴って変化していくと捉えました。しかし、デュルケームは、スペンサーの個人主義的な社会観を批判し、社会を個人の集合体としてではなく、独自の力を持った実体として理解しました。
### ドイツ社会科学の影響と社会的有機体説
デュルケームは、当時のフランス学界において主流であったドイツ社会科学、特に社会学者ルドルフ・フォン・イェーリングや経済学者アルバート・シェffleの影響も受けていました。彼らは、社会を一個の有機体と捉え、個々の部分は全体の調和のために機能するという有機体説を主張していました。
デュルケームもまた、社会を有機体になぞらえ、宗教が社会の統合と連帯に重要な役割を果たしていると論じました。彼は、宗教を個人の心理的な現象としてではなく、社会構造と密接に結びついた社会的な現象として分析しました。
### 宗教批判の隆盛とアニミズム批判
19世紀後半は、ダーウィンの進化論やマルクスの唯物史観の影響などを受けて、宗教に対する批判的な風潮が高まっていました。特に、エドワード・タイラーに代表されるアニミズム理論は、宗教の起源を未開人の原始的な思考形態に求め、宗教を迷信や幻想の産物として捉えていました。
デュルケームは、このような既存の宗教観に対して異議を唱え、宗教を社会にとって不可欠な要素として擁護しました。彼は、宗教の起源を社会的なものと捉え、宗教が社会の統合と連帯に果たす機能を明らかにしようと試みました。