## デュマの王妃マルゴの選択
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マルゴとナヴァール王アンリとの政略結婚
マルグリット・ド・ヴァロワ、通称マルゴは、フランス王シャルル9世の妹です。1572年、彼女はナバラ王アンリ・ド・ブルボンと結婚しました。これは、フランス国内で激化しつつあったカトリックとプロテスタントの対立を解消するために画策された政略結婚でした。マルゴは敬虔なカトリック教徒、アンリはプロテスタントの指導者という宗教的に対立する立場にありました。
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サン・バルテルミの虐殺とアンリとの関係
結婚式のわずか数日後、パリでサン・バルテルミの虐殺が勃発します。これは、カトリック教徒がプロテスタント教徒を虐殺した事件であり、フランス全土に広がり、数千人ものプロテスタント教徒が犠牲になりました。アンリは虐殺から逃れるために、カトリックに改宗することを余儀なくされ、その後もパリで数年間、幽閉生活を送りました。マルゴは、アンリがカトリックに改宗することを拒否すれば殺害されると脅迫され、兄王シャルル9世にアンリを助けるよう懇願しました。その結果、アンリは殺害を免れましたが、マルゴとアンリの結婚生活は、この事件によって大きな影を落とすことになります。
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パリからの逃亡とその後
1576年、アンリはパリからの逃亡に成功し、プロテスタントに復帰しました。マルゴは、夫とともにパリを脱出しようとはせず、フランス宮廷に残りました。その後、マルゴは兄王アンリ3世の寵愛を受け、宮廷で影響力を持つようになりました。彼女は、兄とアンリの和解に尽力し、1589年にアンリがフランス国王として認められると、マルゴもまた王妃の称号を取り戻しました。しかし、2人の関係は修復不可能なほどに悪化しており、1599年に正式に離婚が成立しました。
これらの出来事の中で、マルゴは常に困難な選択を迫られました。 宗教、家族、愛情の間で揺れ動く彼女の姿は、デュマの小説においても鮮やかに描かれています。