デカルトの省察の表象
表象とは
デカルトにおいて「表象」は、心の中に現れるものを広く指す用語です。感覚的経験、想像、概念、判断、感情など、意識の内容すべてが表象に含まれます。
第一哲学における表象の役割
「省察」は、確実な知識の基礎を築こうとする試みであり、その試みの中でデカルトは、まず自分が疑い得ないこと、すなわち自己自身の存在を確認します。「我思う、ゆえに我あり」という有名な命題は、思考という表象行為を通して自己の存在を捉えたものです。
感覚的表象と懐疑
デカルトは、感覚的経験に基づく知識を疑います。例えば、夢の中で現実と区別がつかないような経験をすることから、感覚が私たちを欺く可能性を指摘します。さらに、悪しき霊の仮説を導入することで、感覚だけでなく、数学的真理のような理性に基づく知識さえも疑いの対象となります。
表象と神の存在証明
デカルトは、完全性を持つ神の観念を自己の内面に発見します。不完全な存在である人間は、完全性の源泉である神からこの観念を付与されたと結論付けます。この議論において、神の観念は、心の中にある重要な表象として機能します。
表象と外界の認識
神は欺く者ではないという前提から、デカルトは、感覚的表象が完全に誤っているとは考えず、一定の仕方で外界に対応していると主張します。ただし、感覚が私たちに与えるのは、物の真の姿ではなく、私たちが知覚できるような仕方で表現された像です。
デカルトは、表象と外界の対応関係を保証するものとして、神の誠実さを挙げます。しかし、この説明は、表象と実在の関係を完全に解明するものではなく、「省察」の中でも議論の余地を残しています。