デカルトの省察の思想的背景
スコラ哲学からの影響と批判
デカルトは、幼少期から1610年代まで、当時最高の教育機関であったラ・フレーシュ学院でスコラ哲学を学びました。スコラ哲学は、アリストテレスの哲学を基礎とし、キリスト教神学と融合させた体系的な思想です。デカルトは、スコラ哲学から論理学や形而上学などの重要な概念を学びましたが、同時にその限界も感じていました。
デカルトは、スコラ哲学が抽象的な議論に偏り、現実世界の問題解決に役立たないと考えていました。また、スコラ哲学における知識の源泉が、聖書やアリストテレスなどの権威に基づいていることも批判しました。デカルトは、真の知識は、人間の理性に基づいて構築されなければならないと主張しました。
懐疑主義の影響と克服
16世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパでは宗教改革や地動説の提唱など、従来の権威や常識が揺らぐ出来事が相次ぎました。このような時代背景の中、あらゆる知識の確実性を疑う懐疑主義が台頭しました。
デカルトも、懐疑主義の影響を受け、自分が今まで信じてきたすべての知識を疑うことから哲学的探求を始めました。しかし、デカルトは、懐疑主義を最終的な結論として受け入れるのではなく、それを乗り越えて確実な知識の基礎を築こうとしました。
数学的方法の哲学への応用
デカルトは、数学の明晰で確実な方法に深く感銘を受け、それを哲学にも応用しようとしました。数学では、自明な公理から出発し、厳密な論理に基づいて定理を導き出すことができます。デカルトは、哲学においても、同様に確実な基礎から出発し、明晰で判明な推論によって真なる知識を体系化できると考えました。
新プラトン主義の影響
デカルトの思想には、古代ギリシャの哲学者プラトンの思想をキリスト教的に解釈した新プラトン主義の影響もみられます。特に、感覚的な経験世界を超越した永遠不変のイデアや、人間の魂の不死性といった概念は、デカルトの哲学にも受け継がれています。
近代科学の勃興
16世紀から17世紀にかけて、コペルニクス、ガリレオ、ケプラーといった科学者たちによって、天動説から地動説への転換や、天体の運動法則の発見など、近代科学が大きく発展しました。デカルトも、このような科学の進歩に大きな関心を寄せていました。
デカルトは、自然を数学的な法則に基づいて理解しようとする機械論的な自然観を展開しました。また、実験や観察の重要性を認識し、自らの哲学体系の中に取り込もうとしました。