## デカルトの省察と人間
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我思う、ゆえに我あり
『省察』でデカルトがまず行ったのは、あらゆるものを疑うという方法的懐疑でした。感覚や外部世界、数学的真理さえも、すべてが偽である可能性を考慮しました。この徹底的な懐疑の中で、唯一疑いようのない真実として現れたのが、「我思う、ゆえに我あり」という有名な命題です。
デカルトは、自分が騙されているとしても、何かを疑っているという事実、つまり「考えている」という事実だけは疑いようがないと考えました。この「考える私」こそが、デカルトにとって確実な出発点であり、その後の哲学的探求の基礎となりました。
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心身二元論
デカルトは、「我思う、ゆえに我あり」の「我」を、肉体ではなく、思考する精神、「思惟するもの」と捉えました。そして、精神と肉体は全く異なる実体であり、独立して存在すると考えました。これが、デカルトの心身二元論です。
デカルトは、精神は非物質的なものであり、思考、意志、感覚といった能力を持つとしました。一方、肉体は物質的なものであり、広がりを持ち、機械的な法則に従うと考えました。
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神の存在証明
デカルトは、有限な存在である人間が、完全性という概念を持つこと自体、完全な存在者である神が存在することの証明になると考えました。 つまり、完全性の概念は、有限な人間自身から生まれたものではなく、完全なもの、すなわち神から与えられたものでなければならないと考えたのです。
また、デカルトは、自分が「考えるもの」として存在しているという事実も、神によって保証されていると考えました。なぜなら、有限な存在である自分が、自分自身を存在させているとは考えられず、無限の力を持つ神が自分を創造したと考える方が妥当だと考えたからです。
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デカルトの省察の影響
デカルトの『省察』は、西洋哲学の歴史において非常に重要な意味を持ちます。特に、「我思う、ゆえに我あり」という命題は、近代哲学の出発点とされ、主観を重視する近代哲学の思想に大きな影響を与えました。また、心身二元論は、心身問題や意識の問題を考える上で、現代においてもなお重要なテーマとなっています。