## デカルトの方法序説の表象
### 表象とは何か
デカルトにおいて「表象」とは、
心の中に現れてくるものすべてを指します。これは感覚的経験、想像、感情、概念など、意識の内容全体を包括する広範な用語です。方法序説においてデカルトは、表象を真偽の判断の対象となるものとして位置づけています。
### 表象と懐疑
デカルトは方法序説において、人間の認識の確実性を追求するために、まずはじめにあらゆる事柄を懐疑の対象とします。この懐疑は、感覚的経験に基づく知識、数学的真理、そして神の 存在にまで及びます。なぜなら、これらのいずれもが、誤謬の可能性を完全に排除できないと考えたからです。
### 感覚的表象の疑わしさ
デカルトは、
感覚的経験に基づく表象は容易に欺かれる可能性があると指摘します。例えば、遠くにあるものは小さく見えたり、夢の中で現実と区別のつかない経験をしたりすることがあります。このようなことから、感覚的表象はそれ自体としては確実な認識の基礎となりえないと結論付けます。
### 数学的表象と悪しき精霊の仮説
感覚的表象だけでなく、
数学的真理のような明晰で判明に思える表象でさえも、デカルトは疑います。彼は「悪しき精霊」の仮説を導入し、私たちが明晰で判明と考える事柄さえも、悪しき精霊の欺きによって誤っている可能性を示唆します。
### 表象と「我思う、ゆえに我あり」
徹底的な懐疑の末にデカルトが到達するのが、「我思う、ゆえに我あり」という有名な命題です。この命題は、
自分が疑っているということ、つまり「考えている」という事実その は疑いようのない確実な真実であることを示しています。 この「我思う」という活動は、心の中に現れる表象の一種であり、デカルトはここから確実な認識の基礎を築こうとします。