デカルトの方法序説の批評
デカルトの方法序説に対する主な批判点
デカルトの『方法序説』は、近代哲学の出発点とされ、合理主義哲学の代表作として高く評価されています。しかし、出版当時から様々な批判も指摘されてきました。主な批判点は以下の点が挙げられます。
1. **
「我思う、ゆえに我あり」の循環論法
デカルトは、あらゆるものを疑い、最後に残った「疑っている自分」という意識的存在を確実な真理として捉え、「我思う、ゆえに我あり」という命題を導き出しました。しかし、この命題は「私が考えるから私が存在する」と言い換えられます。つまり、「考える私」というものが前提として存在しなければ、「我思う」という行為も成立しないという指摘があります。これは循環論法に陥っているという批判です。
2. **
神の存在証明の論理性
デカルトは、自身の不完全な存在から完全な神の存在を証明しようとしました。しかし、この証明は、人間の心に完全性の観念が生まれつき備わっているという前提に基づいています。しかし、この前提自体が証明されていないという批判があります。また、完全性の観念から神の現実存在を導き出す論理的飛躍も大きいと指摘されています。
3. **
心身二元論の問題点
デカルトは、世界を精神と物質の二つの実体に分ける心身二元論を唱えました。しかし、精神と物質は全く異なる実体であるにもかかわらず、どのようにして相互に作用しあうのかという問題が生じます。デカルトは、松果体を通じて心身が相互作用するとしましたが、具体的な説明は十分とは言えず、後世の哲学者たちによって様々な解釈がなされました。
これらの批判点は、『方法序説』が抱える問題点の一部に過ぎません。しかし、これらの批判は、『方法序説』が出版以降、多くの哲学者に影響を与え、哲学的議論を活発化させたことを示しています。