Skip to content Skip to footer

デカルトの方法序説と時間

## デカルトの方法序説と時間

###

時間概念への言及の少なさ

デカルトの主著『方法序説』において、時間概念は主題的に扱われていません。デカルトは、主に人間の認識能力の確実な基礎を確立することに関心を持ち、そのために「我思う、ゆえに我あり」という有名な命題を導き出します。この命題は、時間経過や外界の存在とは無関係に、思考している主体としての自己の確実性を主張するものです。

###

時間概念の暗黙的前提

しかし、『方法序説』において時間概念が全く論じられていないわけではありません。例えば、デカルトは方法的懐疑を用いて、あらゆる知識を疑いから出発しようとします。この「疑う」という行為は、時間的な経過を前提としています。また、デカルトは人間の感覚が時に誤りを犯すことを指摘しますが、この指摘もまた、過去の経験と現在の認識の比較という時間的なプロセスを前提としています。

###

時間概念へのデカルトの立場

デカルト自身は、時間について明確な立場を『方法序説』で示していません。ただし、彼の他の著作や当時の哲学的文脈から、デカルトが時間を神によって創造されたものと捉えていた可能性は指摘できます。この見解において、時間は絶対的なものではなく、神の創造物として位置づけられます。

###

時間概念に関する考察の余地

『方法序説』における時間概念の扱いは限定的ですが、デカルトの哲学全体における時間概念の重要性を軽視することはできません。デカルトの認識論、形而上学、自然哲学などを深く理解するためには、時間概念に関するさらなる考察が不可欠と言えるでしょう。

Amazonで購入する

Leave a comment

0.0/5