ディルタイの精神科学序説のテクスト
ディルタイの精神科学序説における問題設定
ディルタイの主著『精神科学序説』(1883年)は、自然科学の隆盛を背景に、歴史や文化を対象とする「精神科学」の独自の認識方法を確立しようとした著作です。
ディルタイは、当時の学問状況を、自然科学的方法が絶対視され、精神科学がその方法論的基盤を確立できていないという問題状況として捉えていました。
自然科学と精神科学の差異
ディルタイは、自然科学と精神科学を明確に区別します。自然科学が客観的な法則に基づいて自然現象を説明しようとするのに対し、精神科学は人間の内面的な経験や表現である「精神」を理解することを目的とします。
自然科学が扱う自然は、我々人間とは独立に存在する客観的な対象であり、普遍的な法則に従って運動しています。一方、精神科学が扱う「精神」は、我々自身の内面に存在するものであり、客観的な観察の対象とすることはできません。
「体験」「表現」「理解」の三位一体
では、我々はどのようにして他者の精神を理解することができるのでしょうか。ディルタイは、その鍵となる概念として「体験」「表現」「理解」を提示します。
まず、我々は世界の中で様々な出来事を「体験」します。そして、その体験を言語や行動、作品などを通して「表現」します。他者の精神を理解するためには、これらの表現を通して、その背後にある体験を追体験することが重要になります。
歴史性と「生の連関」
ディルタイは、人間は歴史的存在であり、その精神は歴史の中で形成されると考えました。我々は、先人たちの築き上げてきた文化や伝統を受け継ぎ、その中で生きています。
このような歴史的なつながりを、ディルタイは「生の連関」と呼びます。「生の連関」を通じて、我々は過去の時代や他者の精神とつながりを持つことができ、歴史的な理解が可能になるのです。
「解釈学」的方法
ディルタイは、精神科学における認識方法として「解釈学」を提唱しました。解釈学とは、テキストや作品などの表現物を分析し、その背後にある意味や意図を解釈することを通して、作者の精神を理解しようとする方法です。
解釈学においては、解釈者の主観的な洞察が重要な役割を果たします。解釈者は、自身の経験や知識を動員し、対象と対話しつつ、その意味を解釈していくのです。
精神科学の意義
ディルタイは、精神科学が単なる知識の獲得にとどまらず、人間存在の理解、ひいてはより良い人生を送るための指針を与えるものとして、重要な意義を持つと考えていました。