ツルゲーネフの父と子に影響を与えた本
ルートヴィヒ・フォイエルバッハ『キリスト教の本質』について
ツルゲーネフの『父と子』は、19世紀半ばのロシアにおける世代間対立や社会変革のうねりを鮮やかに描いた作品として知られています。 特に、主人公バザロフが傾倒する「ニヒリズム」は、当時のロシア社会に大きな衝撃を与えました。このバザロフの思想形成に大きな影響を与えた一冊として、ルートヴィヒ・フォイエルバッハの主著『キリスト教の本質』が挙げられます。
フォイエルバッハは、ヘーゲル左派の代表的な思想家であり、青年ヘーゲル派の一人として、宗教批判、特にキリスト教批判を展開しました。『キリスト教の本質』は、1841年に刊行されると、たちまちヨーロッパ中にセンセーションを巻き起こし、マルクスやエンゲルスをはじめとする当時の若者たちに熱狂的に受け入れられました。
フォイエルバッハは、ヘーゲルの観念論を批判的に継承しつつ、人間存在を基軸とした唯物論的な立場から宗教の起源と本質を解明しようと試みました。彼は、人間が自己の持つ最高の能力や属性を神という超越的な存在に投影し、その神を崇拝することで、逆に人間自身が疎外されている状態こそが宗教の本質であると喝破しました。
『父と子』のバザロフは、伝統的な価値観や権威を否定し、科学や理性に基づいた実証的な思考を重視します。彼は、宗教や愛といった感情的なものを「馬鹿げた空想」と切り捨て、自然科学こそが世界を理解するための唯一の道であると信じています。
バザロフのこうした態度は、フォイエルバッハの宗教批判の影響を色濃く反映しています。フォイエルバッハは、宗教は人間の幻想が生み出した虚構であり、人間は宗教から解放されることで真の自由を獲得できると主張しました。バザロフもまた、宗教をはじめとするあらゆる既成概念を否定することで、人間は真の自由と幸福を手に入れられると信じていたのでしょう。
『父と子』は、単なる世代間対立の物語ではなく、フォイエルバッハをはじめとする当時のヨーロッパ思想の影響を受け、ロシア社会が近代化へと向かう中で生じた価値観の転換を鋭く描き出した作品と言えるでしょう。