## チョーサーの『トロイラスとクリセイデ』の思想的背景
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宮廷恋愛
チョーサーの時代、14世紀後半のイングランドでは、フランスの宮廷文化の影響を受け、騎士道と恋愛を理想化する宮廷恋愛の概念が流行していました。『トロイラスとクリセイデ』はこの宮廷恋愛の慣習や理想を作品全体に織り込み、登場人物たちの行動や心理描写を通じて探求しています。
例えば、トロイラスはクリセイデに一目惚れし、彼女への激しい恋心を抱きますが、それは宮廷恋愛における理想的な騎士の愛の姿を反映しています。彼はクリセイデを崇拝し、彼女のためにあらゆる苦難を乗り越えようとします。クリセイデもまた、トロイラスの愛を受け入れ、彼に貞節を誓いますが、運命のいたずらによってその誓いを破ることになります。このように、作品は宮廷恋愛における愛の理想と現実の葛藤を描いています。
### 2.
運命と自由意志
『トロイラスとクリセイデ』は、人間の運命と自由意志の問題についても深く考察しています。作品では、登場人物たちは運命のいたずらに翻弄され、自身の意思とは裏腹に悲劇的な結末へと導かれていきます。
トロイラスとクリセイデの恋は、戦争という抗えない運命によって阻まれ、最終的には悲劇的な別れを迎えます。クリセイデはギリシャ軍の捕虜となり、トロイラスから引き離されます。彼女はトロイラスへの愛を誓いますが、ギリシャ側でディオメデスに心を惹かれていきます。 このように、作品は運命と自由意志の対立を描きながら、人間の無力さと愛の儚さを浮き彫りにしています。
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ボエティウスの思想
チョーサーは、古代ローマの哲学者ボエティウスの著作『哲学の慰め』に影響を受けており、『トロイラスとクリセイデ』にもその影響が見られます。
ボエティウスは、人間の幸福は外的な要因ではなく、内面の心の状態によって決まると説きました。また、真の幸福は神への愛によってのみもたらされると主張しました。『トロイラスとクリセイデ』では、登場人物たちは愛や名誉、権力など、様々な外的な要因に翻弄され苦悩しますが、それはボエティウスの思想と照らし合わせると、真の幸福を求めて迷走する人間の姿を描いていると解釈することができます。
また、『哲学の慰め』における運命と自由意志についての議論も、『トロイラスとクリセイデ』の重要なテーマと関連しています。ボエティウスは、神から見た場合、人間の自由意志は限定的であると主張しましたが、『トロイラスとクリセイデ』においても、登場人物たちの運命はあらかじめ決められており、彼らの自由意志は限定的なものとして描かれています。