ダンテの煉獄篇の対極
ヘドニズムを肯定するルクレーティウスの『事物の本性について』
ダンテの『神曲』の一編である『煉獄篇』は、キリスト教的世界観に基づき、罪を悔い改めた魂が浄化されていく過程を描写しています。一方、古代ローマの詩人ルクレーティウスの哲学的叙事詩『事物の本性について』は、エピクロスの哲学を基盤に、快楽こそが人生の目的であるとするヘドニズムを肯定的に捉えています。
禁欲と快楽、異なる人間観
『煉獄篇』では、現世における罪の意識と来世における神の裁きへの畏怖が、魂を浄化へと駆り立てます。そこには、肉体的快楽を断ち、精神の向上を目指す禁欲主義的な人間観が見て取れます。
対照的に、『事物の本性について』は、人間を含む万物が原子とその運動によって成り立っており、魂もまた肉体と同様に死によって消滅すると説きます。そして、死後の世界や神の裁きを否定することで、現世における快楽の追求こそが重要であると主張します。
対照的な世界観が浮き彫りにする文学的深み
『煉獄篇』と『事物の本性について』は、その根底に存在する価値観や世界観が対照的です。前者がキリスト教的な価値観に基づき、魂の救済と神の栄光を歌い上げているのに対し、後者は物質主義的な立場から、人間の有限性と快楽の重要性を説いています。
このように対照的な二つの作品を比較することで、それぞれの作品が持つテーマやメッセージ、そして文学的な深みがより一層際立ってくるといえます。