Skip to content Skip to footer

タキトゥスのゲルマニアの思想的背景

## タキトゥスのゲルマニアの思想的背景

###

ローマの政治・社会状況

タキトゥスが『ゲルマニア』を著したのは、紀元98年、ネルヴァ帝の治世が始まって間もない頃でした。この時期は、ローマ帝国において、ネロ帝の自殺に端を発した内乱の時代(四皇帝の年、68-69年)を経て、フラウィウス朝が終焉を迎え、新たな時代を迎えた転換期にありました。

フラウィウス朝は、内乱後の混乱を収拾し、帝国の安定化に貢献した一方、皇帝による権力集中を進め、元老院との対立を深めました。タキトゥス自身も元老院議員であり、こうした政治状況を目の当たりにしていました。

また、ローマ社会は、共和政末期から続く社会の退廃、道徳の衰退といった問題を抱えていました。贅沢な生活、政治の腐敗、伝統的な価値観の軽視といった状況は、『ゲルマニア』において、ゲルマン民族の質実剛健さや純朴な風習と対比的に描かれることになります。

###

タキトゥスの歴史観・政治思想

タキトゥスは、『ゲルマニア』以外にも、『年代記』や『歴史』といった歴史書を著しており、そこには彼の歴史観や政治思想が色濃く反映されています。

タキトゥスは、共和政期のローマを理想化し、当時のローマ人の持つ civic virtue (市民としての徳)を称賛していました。一方、帝政期に入ると、権力闘争や腐敗が蔓延し、伝統的なローマ人の道徳が失われていく状況に強い危機感を抱いていたと考えられます。

また、タキトゥスは、歴史を記録することによって、後世の人々に教訓を伝えようとしていました。『ゲルマニア』においても、ゲルマン民族の姿を通して、当時のローマ社会に対する批判や警鐘を鳴らそうとしたと考えられています。

###

ギリシャ・ローマ世界における「蛮族」観

古代ギリシャ・ローマ世界において、「蛮族」とは、自らの文化や言語を持たない、未開で野蛮な異民族というステレオタイプなイメージで捉えられていました。

しかし、タキトゥスの『ゲルマニア』では、従来のステレオタイプな「蛮族」観とは異なり、ゲルマン民族は、勇猛で質実剛健、純朴な風習を持つ民族として描かれています。

もちろん、『ゲルマニア』におけるゲルマン民族の描写が、全て事実に基づいているとは限りません。タキトゥスは、自らの意図に基づいて、ゲルマン民族を理想化し、あるいは誇張して描いている部分もあると考えられます。

Amazonで購入する

Leave a comment

0.0/5