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スタンダールのパルムの僧院の原点

スタンダールのパルムの僧院の原点

イタリア年代記

スタンダールは、1830年に出版された歴史書「イタリア年代記」の中で、16世紀のイタリアの年代記作家、ピエトロ・アレティーノの著作から引用した次のような一節を掲載しています。

> ローマ教皇庁の書記官だったチェーザレ・ファルネーゼ枢機卿には、ピエール・ルイという息子がいました。彼は、並外れた美貌の持ち主でしたが、性格は放蕩で、野心家で、凶暴でした。ある日、ピエール・ルイは、ローマ教皇庁の役職を求めて、叔父のフランチェスコ・チボー枢機卿の愛人である、ヴァノッツァという名の美しい女性に言い寄りました。しかし、ヴァノッツァは彼の誘いを拒絶しました。ピエール・ルイは激怒し、ヴァノッツァを自分のものにするために、彼女の愛人である叔父を毒殺しようと企てました。

枢機卿の毒殺事件

この一節は、1503年に実際に起きた事件を題材にしています。ローマ教皇アレクサンデル6世の息子であるチェーザレ・ボルジアは、自身の権力拡大のために邪魔な存在となっていた、ヴァレンティーノ公爵の異母弟であるフアン・ボルジア枢機卿を毒殺しました。フアンは、その美貌から「教会のガニメデ」と呼ばれていました。

スタンダールは、この歴史的事実を基に、「イタリア年代記」の中で、さらに物語を肉付けしました。彼は、ピエール・ルイがヴァノッツァに恋心を抱き、彼女の気を引くために、彼女の夫である枢機卿を毒殺しようとする様子を、詳細に描写しました。

スタンダールの創作

スタンダールは、「イタリア年代記」の執筆後も、この事件に強い関心を抱き続けました。彼は、ピエール・ルイとフアンの物語を、自身の小説の題材にすることを思いつきます。そして、「イタリア年代記」の一節を大幅に改稿し、登場人物の名前や設定を変更して、「パルムの僧院」の骨子を作り上げました。

「パルムの僧院」の主人公であるジュリアン・ソレルは、美貌と野心を兼ね備えた青年であり、自身の出生の低さから、出世のために手段を選ばない冷酷な性格の持ち主として描かれています。彼は、フアン・ボルジア枢機卿をモデルにしたと思われる人物です。

「パルムの僧院」は、19世紀フランス文学を代表する傑作として、現代でも高く評価されています。スタンダールは、16世紀イタリアの史実を基に、人間の欲望や野心を鋭く描いた作品を創作しました。

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