スウィフトのガリヴァー旅行記から学ぶ時代性
第1章 漂流記という流行
ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』が出版された18世紀前半は、大航海時代を経てヨーロッパ諸国が世界中に植民地を広げ、同時に未知なる世界への好奇心が高まった時代でした。ヨーロッパの人々にとって、世界地図は未知の領域で満たされており、そこには奇妙な生き物や文化が存在すると信じられていました。
そのような時代背景の中、航海の途中で嵐に遭ったり、無人島に漂着したりする「漂流記」と呼ばれるジャンルが流行しました。ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』はその代表例であり、漂流という非日常的な状況を通して、人間の理性や文明、社会との関わりを問うというテーマが読者を魅了しました。
第2章 風刺に満ちたガリヴァーの航海
『ガリヴァー旅行記』もまた、漂流記という形式を借りていますが、スウィフトは単なる冒険譚を超えた、より深いテーマを作品に込めています。ガリヴァーが訪れる国々は、小人国、巨人国、空飛ぶ島など、奇想天外な設定でありながら、当時のイギリス社会を風刺的に映し出す鏡となっています。
例えば、小人国リリパットでは、些細な違いを理由に党派争いが絶えず、隣国との戦争も辞さない矮小な政治が描かれています。これは、当時のイギリス議会における政争や、ヨーロッパ諸国間の戦争を痛烈に批判していると解釈できます。
また、巨人国ブロブディンナグでは、巨大な体を持つ巨人の視点から人間の醜さや愚かさが浮き彫りにされます。ガリヴァーは自国の文化や歴史を誇らしげに語りますが、巨人からは「歴史とは、あなたがた人間が犯してきた愚行の集積にすぎない」と一蹴されてしまいます。
第3章 理性への懐疑と人間の愚かさ
ガリヴァーはその後も、空飛ぶ島ラピュタや不死の人間がいるラグナグなど、様々な国を訪れますが、どの国も当時のヨーロッパ社会の矛盾や問題点を風刺的に描いています。特に、理性を絶対視するあまり、現実世界では役に立たない学問に没頭するラピュタの人々は、当時の科学万能主義への痛烈な批判となっています。
このように、『ガリヴァー旅行記』は単なる冒険物語ではなく、スウィフトが生きた時代の社会や人間の本質に鋭く切り込んだ風刺文学として読むことができます。彼は奇想天外な物語を通して、人間の理性や文明に対する過信を戒め、普遍的な人間の愚かさを描き出したと言えるでしょう。