ジョイスの「若い芸術家の肖像」の思想的背景
アイルランドのナショナリズム
「若い芸術家の肖像」が書かれた時代、アイルランドはイギリスからの独立を求めるナショナリズム運動の真っただ中にありました。ジョイス自身もこの運動に深く関わっており、主人公のスティーブン・デダラスは、作者自身の若い頃を反映した存在として、アイルランドの国民としてのアイデンティティに葛藤する姿が描かれています。作中では、アイルランド語の復興運動や、イギリス文化に対する抵抗など、当時のアイルランドの状況を色濃く反映した描写が見られます。
カトリック教会の影響
敬虔なカトリックの家庭に育ったジョイスは、幼少期からイエズス会の学校で教育を受けました。しかし、成長するにつれて教会の教義や権威主義に疑問を抱くようになり、最終的には信仰を捨てます。主人公のスティーブンもまた、幼い頃からカトリックの教えを受けて育ちますが、思春期を迎えると罪や贖罪、地獄といった概念に苦悩し、信仰と理性の間で葛藤します。そして、最終的にはスティーブンもまた、教会の権威から自由になることを決意します。
近代文学の影響
ジョイスは、イプセン、フローベール、ニーチェなど、当時のヨーロッパの近代文学から大きな影響を受けていました。特に、人間の心理を深く掘り下げるリアリズムや、伝統的な道徳観念にとらわれない個人主義的な思想は、「若い芸術家の肖像」にも色濃く反映されています。例えば、スティーブンの内面は、彼の意識の流れをそのまま描写する「意識の流れ」と呼ばれる技法を用いて、詳細に描かれています。これは、人間の心理をより深く、よりリアルに表現しようとした近代文学の潮流を反映したものです。