シラーの自由についての対極
プラトンの「国家」における自由の概念
古代ギリシャの哲学者プラトンの代表作「国家」は、理想的な国家体制について考察した対話篇です。その中でプラトンは、正義(dikaiosynē)という概念に基づいた国家論を展開し、個人の自由は国家全体の調和と秩序のために制限されるべきだと主張しました。
シラーとの対比:理性と感情、個人と共同体
シラーが「人間の美的教育に関する手紙」で説いた自由は、感性と理性の調和によって達成される、個人の内面的な自由でした。一方、プラトンは「国家」において、個人の欲望や感情は国家の秩序を乱す可能性があるとみなし、理性に基づいた統治と、それに従う市民の徳を重視しました。
「国家」における三つの階級と「自由」の差異
プラトンは「国家」の中で、市民を「哲学者王」「守護者」「生産者」という三つの階級に分け、それぞれの階級にふさわしい徳と役割を定めました。哲学者王は理性によって国家を統治し、守護者は勇気によって国家を守り、生産者は節制によって物質的な豊かさを生み出す役割を担います。この厳格な身分制度において、「自由」は各階級が自らの役割と義務を果たすことから生まれると考えられており、シラーが重視したような、個人の自由な選択や自己実現とは大きく異なっています。