## ショーペンハウアーの意志と表象としての世界の表象
ショーペンハウアーの主著『意志と表象としての世界』において、
「表象」は我々がこの世界を認識する際に経験するあらゆる現象
を指します。
彼は、我々が直接的にアクセスできるのは、客観的な世界そのものではなく、あくまで我々の感覚器官と知性によって構成された主観的な表象であると主張しました。
表象は、常に主体と客体の二項対立によって成立
します。
つまり、何かを認識する「私」という主体と、認識の対象となる「それ」という客体が存在して初めて、表象は成立します。
例えば、美しい風景を見ているとき、「私」という主体と「風景」という客体があり、その間に成立するのが「美しい風景」という表象です。
表象は、時間・空間・因果律という12のアプリオリな形式によって構造化
されます。
これはカントの超越論的感性論の影響を強く受けており、ショーペンハウアーはこれらの形式が客観的な世界の構造ではなく、人間の認識能力に由来すると考えました。
表象は、個別の事物の多様性の背後に、唯一の根源的な原理である「意志」を隠蔽
しています。
ショーペンハウアーにとって、表象は「意志」の客観化、現象化した姿に過ぎません。我々は表象を通して世界を認識していますが、それはあくまで表面的な認識であり、真の現実である「意志」を捉えることはできません。
ショーペンハウアーは、芸術体験、特に音楽体験において、一時的に個体性を離れ、
「意志」を直接的に体験できる可能性
を示唆しました。
しかし、これはあくまで一時的な解放であり、根本的に「意志」の苦しみから逃れることはできません。